v_6 五歳児が突然ルワンダに住むことになった話 英語編
このエントリは、Voicyチャンネル 自分の人生を生きよう!by CK にて2021年10月13日に配信された「#0006 5歳児が突然ルワンダに住むことになった話 英語編」を文章化しています。音声も是非、こちら↑のリンクからチェックしてみてください♪
今日は、寒い。「秋らしくなりましたね」とかではなくて、ガクガクブルブルして頭も痛いのですが、これはきっと昨日打ったファイザー2回目の副作用かなと思いながら、 今日も元気に収録していきたいと思います!
今日は息子の話です。
海外移住とか、自分またはパートナーが海外勤務などの場合、子どもを連れて行くのか、子どもがいるから断ろうなのか、単身赴任にしようなのか、いろんな選択肢を検討されている方、また、今後するかもしれない方に、少しでも参考になればと思います。
あくまでうちの息子の場合ですが、このタイミングで〇〇に行ってどうだったよ、というようなお話をしていきます。
「5歳児がいきなりルワンダに住むことになった話」。経緯としては、母親(私)がいきなりルワンダに移住することにしたので、巻き込まれた息子の話です(笑)。私はその時点で既にシングルだったので、夫婦間の取り決めというよりは、私の意思決定で動いたわけですね。
息子の場合は、2014年、4歳のときに、旅行で一度ルワンダに行っていました。これも自己紹介のところでお話しした通り、ルワンダに先に住んでいる日本人夫妻に「遊びにおいでよ」と誘われて遊びに行ったというのが、そもそものルワンダ移住のきっかけですが、 そのきっかけとなった旅行ですね。その後、5歳になって、前に旅行で行ったルワンダに行くよ、となりました。でもそう言われても、あんまりどういうことかわからないですよね(笑)。
なぜか息子は、「ボク、絶対イングリ(イングリッシュ)話さないから」と、英語に対する拒否反応だけはものすごくあらわにしていましたね。「東京を離れたくない」とか、「日本にいたい」とかはなかったんですけど、「ボクはルワンダに行っても、イングリは絶対話さない」と、なぜかそれだけはずっと言っていました(笑)。
私もそんなに気に留めなかったし、「じゃあ英語をまずは日本で習わせてから行こうか」とも、まったく考えませんでした。「行ったらもう話すしかないし、5歳なので何とかなるでしょ」と思って行きました。
もしこれが小学校の3〜4年生以上とかだったら、もう少しちゃんと検討と対策をしていたかなと思います。
ちなみに息子は今は10歳。けっこう精神年齢は大人び…いや、無邪気な方ですね。大人びてはいないです。まだまだ「ママ、ママ」ですね、今でも。「わーい、カレーだ〜!。明日もカレーだ〜!わ〜い!」みたいな感じですが、 その割に飲食店などに行ったら、「オーナーはどういう人なんだろうね」とか、「ビジネス上手くいってるのかな」とか、ちょっと振れ幅が謎なんですが(笑)。
息子が5歳のときにルワンダに移住して、良かった面を二つお話したいと思います。
①英語が話せるようになった。
②ダイバーシティ=多様性。最近よく言われますよね。みんな違って当たり前という環境に身を置けたのは、彼の人生の大きな宝になったと思っています。
一つ目の、英語が話せるようになって良かったという話。英語オンリーの環境にいきなりぶち込まれて、話せるようになるしかなくて話せるようになった。っていう話なんですけど。もう少し詳しくお話しすると、まず息子が通うことにした学校ですが、ルワンダ人の富裕層が行く学校。
ルワンダにもインターナショナルスクールが何校かありますが、年間の学費が200万円だったりします。 外務省とか、そういう組織に属して行っていたら、学費が出たりするかもしれませんが、私はもう、なんの後ろ盾もなく行っていますから、 いきなり200万は厳しいなぁ〜と。他にもいろいろ探して、ルワンダの富裕層が行く学校が、授業は全部英語で、 希望者は英語とフランス語半々というコースも取れる、といった学校を見つけて、ここにしようと決めました。
当時、年間の学費はだいたい40-50万円ぐらいでした。「全部英語で指導してくれる保育園が月4万円って考えると、けっこう安いじゃん」というノリです。私の中では、どういう教育なのか、教育の質はどうか、という観点よりは、託児の観点に最初は近かったです。
最初の2週間は、やっぱりめちゃくちゃ泣いていましたね。お友達も先生もなにを言っているのか全然わからないし、誰も知ってる人いないし、いきなり来て、いきなり放り込まれて、すごく泣いてました。
「今日どうだった?」って聞いても、「うん、泣いた」といった感じでした。 「そっかぁ、もうちょっと頑張ろう!」と、しばらく頑張って通ったんですよね。
朝も送ったときに、泣いて「ママー」ってすがってくるのを見て、心は痛みます。泣いてる姿を、草葉の陰から(まだ死んでないですけど、笑)見守ってやりたいところではあるけれど、私自身も、来て早々にお店の内装(最初は廃墟のようなところでした)をどんどん進めていかないといけなくて。「今日こそは、あの大工さんを現場で抑えないといけないから、もうとにかく今行かなきゃ!ちょっとごめん、マジでもうママ行かないといけないっ!いってきます!」という感じの毎朝でした。
そこに、同じような状況で泣きながら通っているアジア系の男の子がいたんです。その子が、本にも書いた「ミンホン」という韓国の男の子。いまだに息子とは仲が良くて、その後ミンホンは国も何度か変わって今はマレーシアにいるのですが、毎日のようにオンラインで楽しそうに息子とおしゃべりしています。
2週間くらいすると、英語がうっすらとわかるようになるのか、「なんとなくこういうこと言ってるっぽい」というのがだんだんつかめるようになっていって、もう数ヶ月もしたら、とってもスムーズに、むしろもはや英語の方が強くなり始めて、ここからルー大柴への道が開かれるわけです。
デメリットについてもまた次回かその次の回でお話しできたらと思います。
英語を日常で使えるようになることと、英語で論文が書けるとか、英語で大学に通ってアカデミックな内容をちゃんと理解できるかは、また全然別の話、という前提で今日の話は聞いていただければと思います。
ルワンダで話されている英語は、アフリカンイングリッシュというか、少しアフリカ訛りの英語です。でも、私には全然気になりません。前に、「シンガポールに行くとシングリッシュになる」という話を友達がしていたのを覚えています。でも、そもそも、日本人が思う「英語」を話せるのはアメリカとイギリス(この二つの英語もまたけっこう違う)、あとオーストラリアやニュージーランドくらいですよね。第二外国語として英語を話している人の方が世界には圧倒的に多いので、そこは特に気にしなくていいんじゃないかなと思っています。(ちょっと違う話ですが、 インド人の英語はインド訛りがとても強いけど、インド人はめちゃくちゃ交渉が強かったりします)
なので、「ひとまず英語を話せるようになる」という目的であれば、それは達成できると思います。
続いて明日は、このメリット②のダイバーシティの話をしたいと思います。
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