
私の伝聞及び想像を含む家族史 (その弐)
両親の見合い結婚の話
見合い結婚に至るまでの背景
■バカ親父:あまり分かっていない。一度問うた所、一人では生きていけ
ないが、二人なら生きていけるそんな時代だったと言ってお
った。バカ親父は、一人だと野垂れ死にしていた気はする。
■母:母には農家に嫁に行った姉が居た。農家には嫁には行きたくなか
ったらしい。跡取りの弟の結婚が近かったために、家に居場所が無
くなるし、見合いを勧める人が居て、運悪くバカ親父と見合いする
ことになった。事前情報として、製鉄所勤務の相手というのはあっ
たらしいが、周りからは製鉄所と言っても良い相手ばかりではない
と言う人もいて、逆にそれに反発する気持ちもあったのかもしれな
い。
見合いに関する話
■母:バカ親父の背広姿は、悪くはなかったらしい。後で誰かに借りたモ
ノであった事が判明。バカ親父がその日暮らしのロクデナシである
ことは結婚後に分かったんだそうである。だが、母には見合いを断
るという選択肢はそもそも無かったんだと思う。
結婚式はしなかった。結婚写真があった。母とは晩年の19年間同居していたので、我が家に古いアルバムがあったのだが、今はない。
母の葬儀中、バカが法要に張り切り出し、七日命日を私に相談もなくやる事を坊主と葬儀屋と決めていたが、私は入院から葬儀初七日まで、へとへとに
なるまで頑張り、筆頭相続人として、役所や年金等の手続きの間の一日を安
息日にしてグッタリしていたが、バカは我が家で法要をやるつもりだったの
で、片づけと準備をしていた。気が付くと、遺影写真を決めるのに出してあ
った全アルバムは無く、私の靴(初任給で買った靴とかも)のほとんどがゴミとして捨てられていた事を考えるとバカが持ち去ったのだろう。
(その壱)
https://note.com/chirudo12/n/ncc25a0a77676