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4. (番外編) Wabi-sabiのはなし

アートな学び場を目指しCHIRUDAは誕生したので、最終的にはやはり、アートギャラリー兼コミュニティスペースが叶うような「空間」を作りたいと思っています。オンラインツールももちろん駆使していきたいですが、やっぱり、自分ではない人、物、自然を、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で触れて、対話して、何かを感じられるリアルな場所を作りたい。
空間や場所を作るには、それなりの建築構造やマテリアル、空間の色や雰囲気を多少なりは想像してみることが必要で、アートに携わるならば尚更、そうゆう部分にも気を遣いたいなと思っていたわけです。

よくトーン&マナーと言ったりしますが、じゃあCHIRUDAのトーン&マナーは何になるんだろうか?どういった感じのものが良いのか?と考えていたんですけど、ふと “Wabi-sabi” という美意識を思い出しました。


●そもそも「わびさび」とは

「わびさび」とは、日本の好みや美の基準に今も影響する古くからの理想とされ、日本の美意識において大切にされている概念です。

「わびさび」の概念は、中国の宋王朝の時代に道教から生まれた後に禅仏教へ伝わり、そもそもは「禁欲的かつ控えめに美を愛でる方法」として捉えられていました。現代では、儚さや自然、哀愁をもっと緩やかに愛でる鑑賞法となり、建物から陶器、生け花に至るまで、あらゆるものにおいて「不完全で不十分な姿」を良しとしているとのこと。

「侘(わび)」は「つつましく簡素なものの優美」を意味し、「寂(さび)」は「時間の経過とそれに伴う劣化」を意味するそうです。この2つが組み合わさり、日本文化に極めて重要な、独自の感覚が作られたとされているのですが、この説明は「わびさび」の表面をかすめるくらいでしかなく、翻訳も難しければ、当の日本文化そのものにおいても定義すら出来ないとも考えられています。



●「不十分が想像力を刺激する」


わびさびは、物事を未完成や不十分なままで終わらせる。そこに、想像力が入り込む余地が生まれる――
東京大学 美学芸術学研究室 |  小田部胤久(たねひさ)教授

BBC NEWS Japan


「わびさび」と言われる何かに関わると、その制作に関わった自然の力に気づき、自然の力を受け入れ、そして二元論(私たちは自分を取り巻く環境とは切り離された存在だとする考え方)から抜け出ることができるという。そしてそういった経験を組み合わせると、人は自分が自然界の一部だと思えるようになり、社会の仕組みに隔てられることなく、代わりに自然の時の移り変わりの中で自分は無力な存在なのだと思えるようになる。例えば、苔がでこぼこの壁で生い茂ったり、木が風に揺れてしなったりするように、凹みや凸凹は欠損ではなく、自然の創造物なのだと受け止めるようになる。
自然をただ単に危険で破滅的な力と位置付けるのではなく、わびさびの概念を使えば自然が美の源であると気付く。どれほど微小なものでも鑑賞の対象になり得、自然が色彩やデザインの想起源となっては刺激の元となる。わびさびの美的感覚によって、普通のものを普通ではなく「美しいもの」として扱う方法を日本人は得たのだと、小田部教授は言う。


●現代の「わびさび」はどこへ

なんとなく分かるような、分からないような感じの日本の美意識とされる「わびさび」という言葉。実際によく耳にする人はきっと多いんじゃないかと私は思っているのですが、じゃあ私たち日本人はこの美意識と、それによる考え方を上手に用いているかというと、全然そうでもないな、と感じるわけです。先に述べたように、本質を完璧に理解することは正直難しいとされる美意識なので、100%生活に取り込めている人はいないだろうと思いながら、この日本の古き良き時代に価値が見出された美意識が現代の日本まで十分に継承されているかというと、そうでもないように感じるのです。


この「わびさび」は美意識と言うだけあって多くの場合、デザインや美術作品などで使われる概念や作法であることがやはり多く、「わびさび」のイメージってどうゆう感じ?と画像検索でもしてみると、それこそそういった作法やデザイン、カラーリングなど、なんか和っぽい感じのものが大半上がってきます。そしてその「和っぽい」雰囲気に魅力を感じた海外のデザイナーやクリエイター、アーティストたちがさらに盛り上げ、今や「わびさび」は、どちらかといえば海外で多くの引き合いがある美意識となっています。実際にGoogleで「わびさび」と日本語打ちしても、「Wabi-sabi」とすぐに出てくるほど、そのままの発音・読み方で世界に知れ渡っているほどです。


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VOGUE Living Australia


海外Wabi-sabiで代表的とされる、ベルギー出身のインテリアデザイナー兼アートディーラーの Axel Vervoordt という人がいます。

彼が作り上げるインテリアデザインは本当に美しくてとても有名なんですが、実は、現在の日本におけるインテリアや建築業界でも参考にされていることがしばしばだとか。私も、本職でインテリア写真など資料探しをすることが多いのですが、やっぱり素敵なものが多いのでついつい画像保存しちゃうんですよね。しかもこの Axel Vervoordt の存在を教えてくれたのも、お世話になっているデザイン設計の日本人担当者さんでした。

もちろん、実際に制作する過程や環境も違えば、制作する人物が個々に違うので、全く同じ条件を指定しても違うものになるのがある意味当然なのかもしれませんが、同じようなマテリアルや漆喰などの技法、自然の取り入れ方、、、「わびさび」というジャンルは同じなのに、私たち日本人からすると真新しくて、とても素敵なイメージとして見えてくる。そしてそれが世に知れ渡り、センスが良いとされ、他も追いつこうとする。いわば、「わびさび」の逆輸入を私たちはしているのです。


そして、Axel Vervoordt によるこれまでの作品や展示等々をより深く調べてみると、どうやら彼は単なるデザインや技法だけでこの Wabi-sabi を理解し表現しているわけではない、ということが段々分かってきます。

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"In-finitum" in Palazzo Fortuny, Venezia


2009年、伊・ヴェネツィアでビエンナーレも同時開催されているタイミングで開かれた “In-Finitum” 展にて、彼はキュレーターを務めたとのことで、実際には日本人アーティストの作品も多く集めた上で Wabi-sabi を表現していたようなんですが、そもそもタイトルである “In-finitum” というのは「宇宙」「未完の芸術作品」の意味であるとし、「遠近的構造でいうところの無限」「あいだの空間、すなわち日本語で言うところのMA(間)」であり、また、「暗室、モノクローム、あるいは空洞、すなわち日本語で言うところのKU(空)」だと言うのです。(引用元


もうなんだか理解に苦しむなあという印象がバシバシ伝わってきますが、どうやら彼は、単純なデザインや概念・作法だけで Wabi-sabi を作り上げているわけではないらしいということが分かります。単にデザイン性のみで作品を選び、適当に設置しては良いか悪いかを判断するのではなく、もっと何か奥深くて、一発では理解できない、しかも目には見えないものを感じて判断し、表現している。


もちろん、上記展覧会に参加された日本人アーティストをはじめ、単にデザイン的な目に見えるものだけでなく、より深い精神的な何かや目に見えない感覚を大切にして表現し、そしてそれを「わびさび」だとする人は実際いるでしょうし、あくまでこれは私の個人的見解であるのは間違いないのですが、現代の日本で聞く「わびさび」の重みと、海外から発信される Wabi-sabi の重みが全く違うように感じてしまうわけです。

現代の「わびさび」はそれこそ、本当に商業的な意味合いしか存在していないような感じで、本来、例えそれが目に見えない何かであったとしても、目に見えないからこそ頑張って感じ取る作業が美徳とされていたのに、今は目に見えないものを感じ取ろうとする機会や習慣がないのでは無いか、と。そして、そんなある意味基本的なことを海外から教えてもらっているなんて、一体全体どういうことだ、と思うのです。元は日本にあって、日本の誇るべき感覚であり、私たちの血にも流れているはずの美意識であるのに、逆輸入した上に改めて教えてもらっているなんて。



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不完全を良しとするのが「わびさび」の側面でもあるので、その流れで言うとトンマナを設定すること自体もはや無駄な工程なのかもしれませんが、失われてしまったらしい本来の「わびさび」の楽しみ方を取り戻すことと、今この世にある多くの問題に対して向き合うために本来の人間らしい感覚を改めて取り戻すことが、ある時、私の頭の中で偶然にも合致し、そして、このプロジェクトにおけるトンマナを強いてあげるとするならば、「わびさび」という美意識がおそらく相応しいであろうとする理由となりました。


番外編のくせに、まあまあ力説してしまった感じがありますが、私がこれまでの人生で見て触れてきたものは、今ここで、このプロジェクトを通して少しずつ全てが繋がっているように思えてなりません。「満を持して」とはまさにこのことであろうと。

そして、この感覚はおそらく皆さんにも起こり得ることであるはずで、最終的なアウトプットがどんな形かは分かりませんが、例えほんの0.1%であっても、その最終形態の中に潜む要素の一部が、このCHIRUDAが発信する何かであったらとても嬉しいなと思います。良くも悪くも、少なからずあなたに影響を与えられているのだから。



〜 CHIRUDA / Haruko Kubo



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