私の現状
過去を振り返っていく前に、簡単に現状をまとめておこうかなと思います。
24歳、来年から社会人。
家族構成は歳の離れた兄二人。
次男は結婚済み、私は現在長男に面倒を見てもらっている。
父親は他界、母親はずっと昔に離婚済みで現在どこにいるのかは不明。
趣味はアニメや漫画、小説執筆。
綺麗なものが好きで、プラネタリウムとかイルミネーションは一人で観に行ったりもします〜。
インスタとかはやっていなくて、お洒落なキラキラ女子大生…とは程遠いですね(笑)
けど、推しのグッズを集める!みたいないわゆるオタ活もしてません〜、友達はみんなやっているので、グッズのおつかいを引き受けたり、イベントに付き合ったりはしています。
もっと心に余裕ができたら、一度はそういう楽しみ方もしてみたいですね。
漫画はジョジョとかが好きです。
信念があって力強くて前向きなキャラクターや物語が好きなんですよね、私も頑張ろうって思えるし、実際助けられてきました〜。
最近だと麻雀漫画の『アカギ』を読んでハマっちゃいました!
赤木しげるの生き方は凄くかっこいいですよね、真似は絶対に出来ないけど……。
まあそんな感じで、立ち直れていないなりにちゃんと好きなものはあるし、楽しむことも一応出来てます。
食欲もあるので鬱では無いかな〜って感じですね、お酒に溺れたりとか、薬ガブガブとかもなく、静かに凹んでます(笑)
でも流石に2年も経って引きずり過ぎだろ〜って感じですよね。
なので今から父が亡くなる前の状況を書きたいと思います。
亡くなる前の父と私
父は2年前に心筋梗塞で亡くなったんですけど、元々持病がありました。
脳梗塞と脳出血で、半身不随。
いつ死んでもおかしくない状況で、歳はすでに67歳でした。
私が小さい頃からそうだったので、家族全員覚悟はずっとしてきていたんですけど、いざ死んじゃうとやっぱり中々信じられなかったですね〜。
色々あって高校から父とは別々で暮らしていたんですけど、私が大学に入学して半年経ったくらいから父が寝たきりになってしまいまして、兄二人は父と不仲だったため、私が一人で介護することにしたんです。
日中は大学、夕方は生活費と介護費を貯金するためのアルバイト、そして夜は食料や着替えなどを買い込んで父の家に向かい、父の身体を拭いて、父にご飯を食べさせて、掃除やゴミ出しをして、父の体調が安定していたら夜中に帰宅。父の体調が悪い時は泊まり込みで看病しつつ大学の課題やレポートを終わらせ、朝方に帰宅、そのまま大学に行って教室で仮眠。
そんな生活を一年くらい毎日続けていました。
もちろん遊びに行ったりする時間はないのであんまり仲の良い友達も出来ないし、いつも汚れていい安物のシャツとズボンを着ていたので、お洒落な人達には若干非モテ認定をされつつ…(笑)
それでも今まで子供だったせいで父を支えられなかった私が父の助けになれるのが嬉しくて、辛くはありませんでした。
何より、なんとなく父がもう長くないことを察していたんですよね。
だから最期が寂しいものにならないように、そばにいてあげたかったんです。
けど、日に日に父の体調が悪化して、食べた物をすぐに吐いちゃったり、呼吸が苦しくなっちゃたりして。
日中でも看病しないといけなくて、徐々に大学やバイトを休まないといけなくなりまして。
それまで無欠席だった授業は出席ギリギリで。扶養を超えるギリギリまで働いていたバイトも、3回に一回は欠勤するようになり、少しづつ余裕がなくなってしまいました。
バイト先や教授達には事情を伝え、優しい人達は追加課題を出すことで出席扱いにしてくれたり、シフトを減らしたりしていただけたのですが、中には私がズル休みをするために嘘をついてると思う人達もいて。
看病で遅刻して教室に入ってくる私を思い切り睨み付けてわざとらしく溜息を吐く教授がいたり。
更衣室で、もっと考えてシフト入ってよ!とお説教をしてくるパートのおじさんもいたりして。
少しづつ、情緒がぐちゃあとなったんですよね。
ケアマネージャーさんについてもらって、ヘルパーさんにきてもらっても、それでも毎日24時間家に居てくれるわけじゃないから、やっぱり私が行かないといけなくて。
コロナ真っ只中だから入院も難しいし、親戚はいないから頼れないし。
でも父の看病をするたびに単位が危なくなって、バイト先には迷惑をかけて、この生活いつまで続くの?って。
早く解放されたい、そう思うたびに、父に早く死んで欲しいのか私は、と自己嫌悪に陥って。
思えばさっさと兄に相談すれば良かったんですけど(笑)、父は兄には言わないでっていうから、なぜかそれに従ったんですよね。
今考えると、睡眠不足や疲労でまともな判断ができなくなってたんだと思います。
そんな感じで、誰にも相談できないまま日々弱っていく父を看病してたんですけど、ある日曜日。
その日は朝から夕方までバイトのシフトに入ってて、夜に父の家に行くつもりだったんです。
一応父は自力でトイレには行ったり、用意したご飯を食べることはできたんですけど、その日はヘルパーさんも来ない日なので、私がいつも行ってて。
何か食べたいものあるかなと思って、昼の休憩時間に電話したんです。
けど、繋がらなかったんですよね。
まあこの時間だし寝てるのかな、と思って。
少し嫌な予感はしたんですけど、これ以上バイトを休みたくないっていう罪悪感もあって、そのまま夕方までバイトをしたんです。
父の家に行く途中、夏で暑いから…とアイスクリームとポカリを買って、涼しいシャツも買って、で、家に行ったんですけど。
玄関を開けたら、真っ暗なんですよ。
いつもなら、
「おお、ちるか…、おかえり、いつもありがとね」
って、父が言ってくれるんですよ。
身体動かすの辛いくせに、私が来るときはいつも玄関の電気付けてくれてるんです。
それが今は真っ暗で、静まり返ってて。
身体から血の気が引くのを感じながら電気をつけたら、父が床に倒れてるんですよ。
床には嘔吐物とか排泄物が撒き散らされてて、その中に父が倒れてて。
服が汚れるとか考える余裕もなく駆け寄って揺さぶったら、幸い意識はありました。
私がいることも分かってたし、買ったポカリとかアイスも食べてくれました。
……いや、食わせる前に救急車!って感じですけど(笑)
で、そのままベッドに移動することも出来ずにいるので救急車を呼んで、来るまでずっと苦しそうな父の頭を抱き抱えてました。
けど父、もう完全に死にかけなくせに、
「パンツとズボンだけ履かせて……救急隊員さん達が…、パパのを見たら自信無くしちゃうから……」
なんて冗談言うんですよ(笑)
意外と余裕あるな…、なんて思いつつ救急車に乗って、病院に行って。
日曜だから詳しい検査はできないんですけど、父が寝ている横でお医者さんが容態を説明してくれて。
いつ心臓発作が起きてもおかしくない状態で、治療も父には負担が大き過ぎるって言うので、延命はしなくていいから、なるべく苦しまないようにしてくださいって伝えて。
そのときは全然涙が出なかったんですけど、ふと父の笑い声が聞こえたんです。
で、見てみたら、点滴打つためかよく分からないんですけど、看護師さんが父の足を触ってて。
それがくすぐったいのか、凄く穏やかにクスクス笑ってるんです。
それを見たら何故だか分からないけど、急に涙が止まらなくなってしまいました。
父が死んだ時よりも、こっちの気も知らずにぼんやりと楽しそうに笑ってる父の姿を見た時の方が、凄く愛しくて、凄く悲しくて、ずっとずっと沢山泣いちゃいました。
で、とりあえず即入院になったんですけど、コロナ禍で面談ができないと。
面談の許可が降りたらご連絡しますね、と言われて、ならその間は大学のイベントで私が作った羊のぬいぐるみを枕元に置いてあげてくださいと看護師さんに羊ちゃんを託して、帰宅しました。
別れ際父に、また面会に来るからね〜って伝えたら、うん、分かったって言ってました。
12時過ぎの夜中に家に帰って、勇気を出して兄に父のことを話して、後のことは兄が引き継いでくれることになって、そのまま眠りについて、翌朝は寝坊して大慌てで大学に行ったんですけど、やっぱり例の教授に睨まれて。
父が昨日入院して…と話したら、「あらそうなのー、大変ねーでももう私の手には負えないから、単位は諦めてくださるー?」と言われ(笑)
泣きながら帰宅し、大学の教務課とアルバイト先に号泣しながらこれからについて相談し、めちゃくちゃ慰められながら暫くお休みをいただき…。
父に会いたかったんですけど、面会許可はまだ降りてないですと言われ渋々自宅待機をしておりました。
帰宅した兄から今日明日が山場らしいと聞かされまた号泣し、それでも父なら奇跡を起こして帰ってくるんじゃないかと、割と本気でそう信じながら、兄が買ってきてくれた高級メロンを貪り眠りにつき。
翌朝6時、父の容態が悪化したとの連絡を受けた兄に起こされ、そのままタクシーで病院に向かいました。
この時の私はもう冷静じゃなかったんでしょうね、何故か父が助かる気満々でした。
私が駆けつければ良くなるはず、こんな可愛い娘がそばにいてそのまま死ぬわけないって、何故か物凄く楽観的でした。
けど病室に入った時にはもう、父は心肺停止で、亡くなってたんです。
心肺停止の時って本当にあんなピーーって音鳴るんですね、あの音が鳴り続ける病室で、父は亡くなってました。
まだ体温はあって、腕を触ると暖かいんですけど、指は少しづつ冷たくなってました。
顔は穏やかそうで、ちょっと間抜けな感じで。
どこか笑ってるようにも見えたのが救いですけど、ただ寝てるのとはやっぱり違う顔付きに、ああ死んだんだなって実感しました。
兄や看護師達がいる前だと少し恥ずかしいけど、小さく「パパ〜」って声掛けて、看護師さんに託したはずの羊さんを荷物かごの下に見つけて、そっと枕元に置いて、主治医が来るのを待ってました。
で、主治医が来る頃には私は結構落ち着いてたんですけど、兄が泣き出してしまって。
方針的に、心臓マッサージとかしても父の体が耐えられないから、苦痛が続かないようにそのまま逝かせてあげる感じだったらしいんですけど、なんの処置もされずに個室で寝かされて死んでいった父の姿に耐えられなかった兄が、ずっと泣いてるんですよ。
「もっと何かなかったんですか!?こんな一人で、ただ寝かされて!」
って、22年間一度も泣いたところを見たことない兄が号泣してて。
それで私は凄く自分を責めました。
兄は父が死んだら泣くくらいには、父に愛情があったんだって。
絶縁状態で、父の話は厳禁みたいな空気だったから、嫌いなんだと思ってたんですよ。
…いや、実際嫌ってはいたんですけど、親子のそういう気持ちとかって、そんな簡単に割り切れるのものじゃないし、どんなに嫌ってても、兄にとってもたった一人の父親だったんですよね。
だからもっと早く兄を頼っていたら、兄の後悔は少なかったんじゃないかって、後悔してます。
でももっと後悔していることがあって。
主治医が来てから判明した事実なんですけど、実は昨日の時点で面会許可が降りてたらしいんですよ。
えっ、と思って。
だって昨日病院に連絡した時は、許可はまだ降りてないって言われたんです。
どういうことかと問い詰めて、連絡ミスで、看護師達に正しい情報が伝わってなかったと判明したんです。
ぎええええええええ!(笑)
まあでも、コロナ禍で大変な状況だし仕方ないよな…。皆さんだって毎日辛いもんな…。
それに父の状態的に意識がはっきりしてたとは思えないし…面会行っても父と話せなかったかもな…。
なんて自分に言い聞かせてたんですよ。
でもそこに絶妙なタイミングで、この場の状況を知らない看護師が一人入ってきまして。
「私お父様から娘さんのこと沢山聞きましたよ〜面会許可降りてよかったです、昨日はお父様と話せました?
お父様、ずっと娘さんがいつ来るか気にして待ってましたよ〜」
なんて言うから、私耐えられなくなったんです。
仕方ないミスだって分かってるのに、我慢できなくて。
「あなた達にとっては沢山いる患者の一人でも、私にとってはたった一人のお父さんだたんです。もう二度とこんなミスしないでください」
大人に向かってそうやって怒りをぶつけたのは初めてで、手足ブルブル震わせて、凄く間抜けな様子だったと思いますし、凄く申し訳ないことしたなって思うんですけど。
でも私、辛くてもずっと父の介護をしてた理由、「最期に父に寂しい思いをしてほしくないから」だったんですよ。
父も今まで大変な人生を歩んできて、病気で身体が動かせない中私を育ててくれて。
だから最期は私がそばにいて、安心して天国に行ってほしくて、そのためにずっと頑張ってきたんです。
なのに、最後の最後で一人にしてしまって。
面会許可は降りてるのに会いに来ない娘を、ずっと待たせてしまったんです。
死にそうな自分に、娘が会いに来てくれないって、どれだけ寂しい気持ちだったかな。
私に話したいこと、沢山あっただろうなって。
何も悪くない兄が泣きながら、会わせてあげられなくてごめんって謝ってきて、平気だよ〜仕方ないよ〜って咄嗟に気にしてない振りして笑ったけど、本当は全然平気じゃないし。
そんな私達に「お父さんは心の中にいますよ〜」って軽く綺麗事を言う看護師責任者?みたいな人にはめちゃくちゃムカついたし。
私が泣いたら兄が苦しむから泣けないんですけど、それがずっと苦しいんですよね。
お葬式は次男が来てくれないから私と長男の二人だけで手配と火葬を済ませました。
綺麗なお花を棺桶に入れて、綺麗なスーツも着せて、理想的な火葬だったと思います。
でもどうしても、最期に父に会ってあげられなかったことが苦しいんです。
いまだにずっと苦しくて、少しも立ち直れないまま気が付いたら2年も経ってて。
貴重な大学生活の日々が全部後悔で埋め尽くされて終わっていくのは流石に父が心配すると思って、こうやってここで吐き出してるわけでございやす(笑)
凄く長くなって申し訳ないです…。
多分文章もめちゃくちゃだと思うけど、あえてこのまま残そうと思います〜。
ちなみに単位は結局一つも落とさず卒業予定です。
睨んできた先生、死亡届を大学に提出したらようやく信じたのか、急に態度が変わって、「よく頑張ったわねえ〜!辛いことあったらなんでも言ってね♡」って感じになったので…。
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