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遠い昔に旅に出る
一人で電車に乗ると、何処へでも行ける気がする。
明るい窓の向こうには昔から知っている街並みが広がっているけれど、電車のスピードが早すぎてよく見えない。
この右カーブの先には確か踏切があったはず。そこを過ぎれば次の駅まであと30秒。降りる準備は出来ている。
何処へでも行けるはずなのに、どうしてこの街の最初の駅で降りるのか。誰かと会う約束をしているわけでもないのに。
駅のホームは高架になっていて、昔は小さな細い階段しかなかったけれど、いつの間にか真新しい駅舎になっていた。エスカレーターやエレベーターも設置されていて、改札の横にはドラッグストアもある。
買ったのはペットボトルのレモンティー。階段を降りながらキャップをひねって一口飲んだ。ここから何処へ歩こうか。駅舎の北側へ出ると、坂の向こうに山並みが見えた。「あの山の麓まで」と頭の中で声がした。周りを見渡してみても誰もいない。仕方ない、行ってみるか。
駅前のロータリー横の桜の花が二輪咲いている。もう春だな、風は少し冷たいけれど。日差しを背中に感じながら、なだらかな坂を登り始めた。
坂の途中にある川沿いの公園。ここの桜はもう少し咲いている。大きな木の下でお花見宴会をしたのはずいぶん前。夜桜にはかなり寒い夜だった。大きな石のベンチに座って冷たいお弁当を食べた。座った石も冷たくて、震えながら飲んだペットボトルのお茶も冷たくて、なんだか悲しくて早く帰りたかっただけの夜。
公園を抜けると、道は右側に曲がっている。昔あった電話ボックスはもうない。上り坂に疲れて横に進むと三叉路が出てきた。左に行くと神社、右に下ると小学校の通学路。
山車のお囃子の音が聞こえる。春祭りの準備をしているようだ。その音に呼ばれるように懐かしい神社へ行ってみる。
お囃子の練習は別のところでやっているのか、氏神さまの境内は人影もなくひっそりしている。お祭りの夜と夏休みのラジオ体操の時間は賑やかだった場所。久しぶりに近況報告の参拝。よくきていた頃は入れなかったお賽銭をチャリンと投げた。
お参りを終えて、今度は山の麓とは逆方向へ坂を下る。少し行くと小学校の校庭の大きな楠が見えてきた。校門もフェンスも新しくなって、校舎の場所も変わっていたけど、大楠と校舎と運動場の間の石段だけは同じ場所にあった。あの頃から大きかった楠は、さらに育ったのかどうかはよくわからない。あの根元に座ってみたかったけれど、門は閉まっていて入れない。
それからまた上り坂に戻る。
この横断歩道を渡って、少し歩いてあの角を右に曲がると桜並木が目に入る。同じ場所。あの時と同じ。桜の花びらはまだ散るほど開いていないけれど。
懐かしく見上げる空は、桜並木で半分以上覆われている。
ここを登ろう、あの日の山の麓まで。