アップルパイの中身はりんごじゃなかった
昨日の話。パートナーを大好きだなって話です。
雨降りの日にベッドの住民になってしまう私
昨日は朝から曇天。しとしと雨がふっていて、こんな天気の日は私は全く機能しない。
意識にどこかモヤがかかっているし、眠くてたまらない。妊娠中ということもあって、余計に曇り空の影響が大きく出ている気がする。
お天気といっしょにじめじめした気持ちになって、泣けてきてしまう。何がどうってこともなく、どんよりしてしまうのだ。
そんな風になってくると、普段がまんできているさみしさが身にしみて、狭いはずの部屋が妙に広く感じられて、余った空間がしなびた心にズズズッとのしかかってくる。
からだが重くてベッドから起き上がれなくなる。
ううう、さみしい。
さみしいし、なにもできない自分が情けないし、涙がポロポロ出てきてしまう雨降りの日なのだ。
休みがないパートナーと引きこもりの私
2月の中旬頃からパートナーは休みなく働いている。
私はここずーっと家にひとり、引きこもっている。
フリーランスの彼は定休がないので、仕事の依頼があれば引き受ける。いまは施工の仕事が繁忙期なのだ。
そこに加えてありがたいことだが、本業の案件もふたつ動かしている。
フリーランスは閑散期になれば休みが続くが、それがそのまま収入に反映される。
いまは休みなく働いて閑散期に備えなければならない。
それだけでなく、いままで彼は彼自身の生活と会社の継続をひとりで引き受けていたけれども、この1年足らずの間に状況は大きく変化した。
私が妊娠して働けなくなったこと、これから生まれてくる赤ちゃんのこと、様々なことが彼の肩にのっかってしまったのだ。
職人として施工もしているから、しなやかな筋肉のついた背中をしているけれども、決してたくましくはない彼。どちらかといえば繊細でやさしい。
意思は強く行動力も決断力もあるけども。
だからって、いきなり自分ひとりを養うところから、3人をひとりで養わなくちゃならないなんて、変化はしんどい。でもそのしんどさをこえて、赤ちゃんに会える日が楽しみだと言ってくれる。私がいることを幸せだと言ってくれる。
こうして書いていると、こんなに愛されているのに、働けないことを申し訳ないなんてめそめそしていることこそ、不義理じゃないかと思う。
やさしい彼は私が働けないことを責めない。
なにもしてなくてごめん、と謝る私をそんなことない、頑張っていると言ってくれる。
頑張ってるんだよ。
毎日ひとりでおうちにのこされて。
おなかで赤ちゃん育ててるでしょ。
ごはん作ってくれるでしょ。
洗濯物だってお掃除だってしてくれるでしょ。
そうやってくれるから、働けるんだよ。
そういう風に私の日々を見てくれていて、そのままそれを頑張っていると受け取ってくれる。
忙しくからだを酷使して働いているのに、家にひとりのこされるひとの孤独と心の負荷に気持ちを向けられるなんて。尊敬してしまう。
だから頑張ろうとおもうし、このひとが心地よくいられる安心で安全な“おうち”に私はなろうとおもう。
それでも曇天に押し潰されてベッドから出られない日がある。情けなくなるのだ。
昨日は本当になにもできなくてぺちゃんこの気持ちだった。
ぺちゃんこにベッドに張りついている昼下がりにパートナーから連絡がきた。
仕事終わったよ。
まっすぐ帰るね。
ぺちゃんこの心がふわーっと生き返る。
と、同時に申し訳なさがつのってしまった。
こうやって懸命に働いて、しかもまっすぐ帰ってきてくれるのに、私はなにもできずにさみしさに負けてめそめそしている。
不意に泣き出してしまい、どうしようもなくなっておもわず吐露した。
毎日さみしいこと。
なにもできない日があること。
そんな日ばかりで自分に◯をあげられないまま毎日おわること。
そかそか。
もうすぐ、おうちにつくよ。
アップルパイを買ってきてくれた
雨のなか、カッパを着てバイクで帰ってきてくれた。
ドアの開く音がすると毎日うれしい。
無事に帰ってきてくれることがありがたくて、すぐドアの方にいく。
こんな気持ちは赤ちゃんが生まれると消えてしまうのかな?なんて不意に不安になる。いまのようにパートナーのことも大切にしながら、赤ちゃんと向き合っていけるだろうか、と。そんなことを考える。
濡れたカッパやヘルメットを浴室乾燥機にかけたり、着替えたり、一通りのことがすむとキッチンに置かれた箱に気づく。
おやつ食べる?
アップルパイだよ。
アップルパイは実にアップルパイらしい見目で、うれしい。物語のアップルパイみたいなビジュアルににこっとなる。
サクパリッのパイに甘酸っぱいりんごと芳ばしくてやさしい甘さのアーモンド生地が入っていた。
おいしくてふたりでわけっこ、ぺろりと食べきってしまった。
食べ終わって、お茶を飲みながら、おずおずたずねる。
私がめそめそしてたから、買ってきてくれたの?
駅に期間限定でお店が来てたんだよ。
高かったんだぞ~
彼はにこにこ私をなでなでした。
おいしいアップルパイの中身は彼の優しさだった。
伝えることと感情を掬い上げること
彼はやさしい。私をよく見ていてくれるし、私の心に気持ちを向けてくれる。
そんなひととだって、すれ違うことはあるし、わかってもらえなくて、つらいこともある。
別々に27年も生きてきたから、それぞれ様々な経験をして各々の価値観を育ててきた。それを共有していくのはとてもとても難儀だ。
別々に生まれてきた別々のいきものだから、100%わかりあうなんてことはできない。
だから、それぞれの心があることを尊重して、それぞれの気持ちと考えを伝えて、どうしたらいっしょに楽しく幸せを育てていけるか話し合わないと、道が別れてしまう。
伝えあえる、受けとめあえるひととなら、この先もきっといっしょに歩いていける。
私が感情を整理して言葉にするのに時間がかかる性質だから、手紙を書いたり、ノートにまとめたり、色んな工夫をして伝えようとする。もちろん、泣きながら話すこともある。
彼はそれをひとつひとつ受け取ってくれる。
彼は思ったときに伝えようと思うことはきちんと言ってくれる。
話をするための時間と環境を作ってくれるし、私がそれをできるようにお話があるよって伝えてくれる。
それはとても大切なこと。
だからといって、言わないんだから伝わらなくて当然、というだけで切り捨てるには日々生まれる感情の小さい曖昧なものたちを置き去りにしてしまう。
もちろん、きちんと言葉にして伝えて話し合うことは、とても大切だ。
もう一方で、ふわふわ日々生まれる感情を掬い上げることも大事なんだなとおもった。
それは自分自身の感情に対してもそうだし、こうやって相手の気持ちをふわっと掬い上げることもできるんだな、と。
アップルパイのなかにはそういうやさしい気持ちがつまっていた。
このひととならいっしょに歩いていける。
このひとといっしょに歩いていきたい。
アップルパイの中身はりんごじゃなかった。
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