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上野(かみの)のDrコトー

 「じゃあ帰ります。」「大丈夫?気をつけてね。」気遣ってくれる義母の言葉も上の空に、車の助手席に乗り込もうとしたとき、また猛烈な吐き気が襲ってきた。(ヤバイ、これはトイレまで間に合わないかもしれない)こみ上げてくる汚物を必死でこらえながら、そのあたりで吐いてもよさそうな場所を物色する。(今朝からなんにも食べてないのに、一体何を吐くつもりなんだろう)などと考える余裕があるのも不思議だ。草むらを見つけて、吐き気にまかせて、胃の中のものをすべて吐き出す。2回・3回。一体どこにこれだけのものが入っていたかと思うくらい大量の吐瀉物。ほとんどが水分だが、緑色や赤色の断片も含まれている。私は体力を使い果たして、車に寄りかかった。「病院行こう」とポソッと呟いた時には、家内と義母は私を病院に連れて行く相談を始めていた。

 「あそこは、やめたほうがいいですよ。」都会から来た兄嫁は、田舎の診療所で苦い思いをしているらしい。妊娠八ヶ月だというのに、1時間もかけて隣の都会の大病院に診察に行く。「でも、緊急だし。大きい病院は今日休みだよ。あそこだったら、電話すれば診てくれるから。」最寄の病院は昔からこのあたりの住民の主治医をしている「後藤医院」で、お医者さんも70歳代である。心もとない。でも、家内の実家とも古い付き合いで、蔑ろにもできないようだ。私は、とにかくこの吐き気を何とかしてくれるのなら、誰でもいいという感じだった。

 「胃腸がよわってますな。」電話で予約を入れた割りには、結構待たされて入った診察室で、ドクターの問診に一気に答えたあとで、腹部の触診・胸部の聴診。「胃腸は弱いほうですか?」

あくまでも、イメージです。

 「腸は、子供の頃に手術してますから、あまり強くないと思います。胃は、これまで悪かった事はありません。」先ほどまでは、口も利けないくらい弱っていたのだが、診察が始まるとそれだけで多少元気になるのは何故だろうか?『これで苦痛から開放される』という期待がプラシーボ効果を起こすのだろうか。しかし、ドクターから発せられた次の一言で、私は少しく不安を覚えた。「じゃあ、腸炎だな。」ドクターはそう言って、看護婦にいくつかの指示を与えると、それで終わりだった。たいした診察もせずに、あまりにもあっさりした診断。「おいおい、大丈夫かよー」と不安になる余裕があるということは、それだけでも症状が改善した証拠だ。肩への注射と点滴。治療室のベッドに横たわって、点滴を受けながらボーッとしていると、暫くして、ドクターが顔を出した。「気分はどうですか?」ボーッとしていた私は、聞き取れずに「はっ」と間抜けに聞き返した。「吐き気は治まったかね?」ドクターは、再度尋ねた。「あっ、は はい」とまた間抜けに答えながら、(身体を動かしたら吐き気がきたんだから、この状態じゃわかんねぇよなぁ)とか不遜なことを考えているうちにドクターは行ってしまった。

 家内の実家は浄土真宗の山寺である。お彼岸の法要があるというので、手伝いがてらやって来た。宮崎県の県庁所在地から車で約3時間半。西臼杵郡高千穂町の市街地からさらに15分ほど山の中に進んだところに上野という集落がある。そこからさらに5km先の小さなくぼ地に、その山寺はある。
 昨日の4時前位に着いたら、ちょうど明日の法要の準備を始めたところだった。御堂の畳拭きから始まって、ガラスみがき・廊下みがき・欄干拭き・椅子並べ。50坪程度の御堂の準備であるが、都会育ちの私には、結構な重労働。夜は、近所の農家の方が、軍鶏の肉を料理して持ってきた。来客の多い家内の実家では、宴会状態の夕食になることが多い。しばらくすると、檀家総代の奥様が、運動会弁当の残りとおぼしきものを持ってやって来た。見慣れぬ方々に挟まれて、手持ち無沙汰になりがちなわたしは、ついつい目の前のご馳走を口に運ぶことが多くなった。

ありがたく、いただきます。

 結局、食い過ぎた。
寝る前から、少し下腹はチクチクしていたのだが、よくあることなので気にしていなかった。翌朝は6時位から庭の清掃。さすがに広い庭で、落ち葉の多い時期なのでおうじょうした。法要が始まって1時間くらいした頃に気分が悪くなって、こっそり退去。居間で横になっていたが、途中で吐き気がしてきたので、トイレへ行って吐く。昨夜食べたサンマの皮っぽいものが出ていた。一度吐くと少しは気分が戻るし、今朝から何も食べていないので、もう吐くものはないだろうという安心感もあって、昼食の弁当を少し食べる。これが悪かった。午後になって2度ほど吐いて、さらには朝には正常だった便が、ひどい下痢になった。(これは普通の状態じゃないな)と思ったが、明日は宮崎で用があるし、暫く休んでから今日中に帰ろう。
治療室のベッドで、点滴を受けながら、少し状態が落ち着いてきた。TBSのドラマで、「Drコトー診療所」というのを家族でそろって見ていたのを思い出した。あのドクターが後藤先生なのかコトー先生なのかは、私の中では定かでないが、ここは「上野のDrコトー医院」なのかななどと思い巡らしていた。
 外科医ではなく内科医、年齢も70才近い。若くて美人―ではないオバさんが一人で、看護婦と受付と会計をこなしていた。ドクターは、次の患者の治療を終えると、すぐ裏にある自宅に戻ってしまった。もう診療時間を過ぎているのだから、当然といえば当然なのだが…。(へ~ん、Drコトーなんかじゃ、ないや~)と、つまらない事を考えたものだと思い直して、点滴に時間をゆだねた。
あたりはすっかり暗くなって、7時過ぎになってやっと点滴が終わった。残っていた看護婦さんも、不満げな顔はせず、薬を出して清算してくれた。
吐き気止めと栄養剤で、気分はすっかり良くなっていた。暫くは食事はできないかと位に思っていたが、「暫くは、消化の悪いものは控えてください」と言われて、拍子抜けした程だった。
寺に戻って、軽く夕食をとった。家内は、明日の用事の件で、あちこちに電話をしては頭をひねっている。(今から帰れば、今日中には着くよな)とか思いながらも、家内に委ねる事にする。
原因は不明であるし、診断はてげてげ(*)といえばてげてげ。それでも、私の症状は治まったのだし、苦痛は取り除いてくれた。9時位に「様子はいかがですか」という電話があった。

 先刻、不遜なことを考えた事を深く反省した。実は、私個人的には、ドラマのDrコトーは、難しい病気を外科医の技術でビシビシと治療し、ちょっと『できすぎ』の感もあった。専門的な治療の必要な場合には、やはり1時間から2時間車をとばして都会にいかなければならないこの地域。具合の悪い時に、とりあえず頼りになる「後藤医院」のドクターは、やはりりっぱな「上野のDrコトー」なのである。

2003年9月23日  孤島(?)にて


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