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Jリーグクラブでインターンシップの受け入れを担当してきた甲斐がありました。
前回の記事の流れから、少し脱線しまして、この機会に私がFC岐阜に所属していた時に受け入れていたインターンシップについて、少々書き留めておきたいと思います。
ちなみに前回の記事はこちら。
サッカークラブは規模のわりに業務の幅が広く、サッカーの現場でもトップチーム、アカデミー、スクールなどがあり、監督やコーチなどの指導者だけでなくマネジャーやトレーナーも関わっていれば、フロント業務では、営業、販売、広報、試合運営などの事業系の業務もあれば、総務・経理などの管理系の業務もあります。私は地域貢献推進部という部署に所属しており、Jリーグ的な言い回しをすればホームタウン関係の事業に携わっていました。
さて、大学生がよくインターンシップにやってきていたのですが、同じインターンシップという名前でも期間によってできることは大きく異なります。
インターンシップの受け入れは私が担当していたので、短期(2,3週間)、中期(2,3ヶ月)、長期(1年間)で異なるプログラム(というほど整っていたわけではありませんが)で受け入れていました。
短期の場合は、トップチームやアカデミー、スクールの現場をそれぞれ1日か2日くらい手伝います。週末にはホームゲームがあれば運営にあたり、ホームゲームがない週の週末はほとんど毎日何かしらホームタウンでのイベントに参加していたので、その準備から片付けまでひと通り携わってもらう、というような流れが主でした。本人の希望によっては営業についていかせてもらったり、広報に帯同したり、といった具合で細かいところの差はありますが、いずれにしても2週間では、さらっとのぞき見するくらいしかできないくらい、あっという間に過ぎてしまいます。
中期の場合は、短期の内容に加えて、ホームゲームもしくはイベントなどで、何かしら自分たちで企画して実施してみる、という要素が入ってきます。最終週の週末あたりに照準を定めて、そこに向けて準備を進めながら、いろんな部署に顔を出してはいろんなスタッフに面倒をみてもらっていました。
一から企画を立てて実施してみようとすれば、数か月あるとはいえ、これもあっという間だったと思います。思ったことをなんでも実現できるわけではないし、制約の中でやらなければならないこともあります。まわりを巻き込まなければいけないことであればなおさらで、その関係を築くことも含めてやらないければならないので、大変苦労していたと思います。
長期ともなると、インターンシップというよりも一人の正規のスタッフとほとんど同じように働いてもらっていました。当時、私の所属していた地域貢献推進部は「何でも屋」に近いような動きもしていて、ホームタウン関係のことや試合運営はもちろんのこと、他の部署で困っていることがあれば積極的に拾いに行くスタンスでいましたし、特にアカデミーとは近い距離間で連携しており、サッカーの現場にも関わる機会が多くありましたので、基本的にはまずインターンシップ生は地域貢献推進部に所属することになっていました。そこで若い職員たちと一緒にインターンシップ生も地域に出たり、アカデミーの子たちと一緒に励んでいました。だからこそ、長期間にわたって一緒に仕事にあたったインターンシップ生とは、終了後も何かのタイミングで関りをもってきました。
さて、振り返れば、若いスタッフもかなり自由にのびのびと仕事をさせてもらえていたと思います。その分、当時を一緒に過ごした仲間からは、(自分ではそんなつもりはありませんでしたが、)あの頃はとがっていたね、とか、あの頃に比べて随分落ち着いてきたね、と言われることもあります。それくらい、自分の考えを躊躇なくまわりにも出していたのかもしれません。それに加えてもともと感情表現がへたくそな部類の人間ですので、おそらく当時のインターンシップ生からしたら、かなりとっつきにくかったのではないかと想像されますし、嫌われているとか評価されていないとか、そう思われていたかもしれません。
しかし、言い訳したいわけではありませんけれども、決してそういうわけではなく、私からしたらわざわざ休学してまで1年間もインターンシップに来ること自体、私なんかとは比べ物にならないくらい立派な学生だと思っていました。
そんなインターンシップ生だった一人と、10年も経ってまさか一緒に仕事をすることになるとは思ってもいませんでした。彼もまた1年間ではありましたが今西さんの薫陶を受けたのち、紆余曲折を経て都農町にたどり着きました。
今は、都農町地域おこし協力隊として、私に代わって「つの職育プロジェクト」の取りまとめを行っています。
お互い少しは成長したでしょうか。
都農町でさらなる飛躍を期待します。
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