甲子園中止に影響されない高校球児がいるのか問題
新型コロナウイルスの影響で選抜高等学校野球大会、通称「春の甲子園」「センバツ」が中止になったのに続き、全国高等学校野球選手権大会、通称「夏の甲子園」も中止となりました。この出来事に肩を落とす高校球児が全国にごまんといることは想像に難くありません。選手が、監督が、保護者が、野球ファンが、あるいはまったく野球に関係ない人までもが、落胆の色を隠せないでいるというニュースが飛び交っています。では、この出来事にさほど影響を受けることのなかった高校球児はいるのでしょうか。
私は中学、高校とサッカー部に所属していました。今ではリーグ戦ができたり、クラブチームも増えてクラブの大会があったりと公式戦の在り様も当時と比べるとだいぶ変わってきましたが、当時、高校サッカーと言えば、一般的には全国高校サッカー選手権大会(通称「選手権」)が一番の大舞台でした(今でもそうかもしれません)。
そんな高校サッカー界の末端にいた私は、選手権の存在はもちろん知っていましたが、自分がしている部活動・サッカーとは地続きだという感じがしていませんでした。それは、全国大会に出場できる可能性がほとんどないから、ではありません。そもそも大会に臨むときに、その大会が何という大会であるかすら理解しないまま参加していたからです。
それでも大会が終わって少しだけ感傷的になるとすれば、この大会をもって「部活動を引退する」=「サッカーを日常的にする場を失う」ことが決まっているというときだけでした。(これはこれでいろいろと問題をはらんでいると思いますが、それはここでは触れずに置きます。)あとあと振り返ってみれば、私の高校でのそれはインターハイの県予選だった(もしかしたら地区予選だったかもしれません。そのくらいあやふやです。)のだと思いますが、当時はそれもよく理解しておらず、とにかく負けたらその日で引退という最後の大会ということだけは認識していました。いわんや中学をや、です。
なぜ、どういう大会であるかということすら理解しないままに大会に臨んでいたかと言えば、そもそも大会に向けて日々サッカーをしていたわけではなかったからです。当時のチームメイトがどうだったかはわかりませんが、少なくとも私はそうでした。もちろん試合はしたかったです。でも私の場合は公式戦だろうが、練習試合だろうが、紅白戦だろうが、ハーフコートのゲームだろうが、5対5のミニゲームだろうが、サッカーの形をしていればなんでもよかったのです。もう少し踏み込むなら、私にとっては公式戦より練習試合の方が良かったし、練習試合より紅白戦の方が良かったし、紅白戦よりハーフコートのゲームのほうが良かったし、ハーフコートのゲームより5対5のミニゲームの方が良かったのです。理由は非常に単純で、自分がサッカーに参加できるからです。
公式戦はスタメン11人と交代で数人しか出られません。練習試合は交代自由なので多く出られるし、1試合目に出られなくても2試合目、3試合目で出られます。紅白戦なら一度に22人も出られます。ハーフコートのゲームなら22人は出られなくても人数が少ない分ボールに関わる機会が多いし、プレーするメンバーの交代の回転も速いので、ただ見ているだけの時間は少なくてすみます。ミニゲームならよりボールに触れる機会も多くなるし、同じスペースでもたくさんコートが作れるので、より一層参加できる時間が長くなります。
何が言いたいかと言えば、私はサッカーの大会に出たくて部活をしていたのではなく、(サッカーがうまくなりたくて部活をしていたのでもなければ、サッカーによって人間的に成長しようと思って部活をしていたのでもなく、)ただサッカーがしたかったから部活をしていたのです。そういう人間にとっては、選手権だろうがインターハイだろうが、隣の学校との練習試合だろうが、サッカーができればなんでもよかったのです。そして、同じような考えで部活をしている高校生は、もしかすると少数派なのかもしれませんが、それでもさほど少なくない割合で存在するのではないかと、根拠はありませんがそう思います。
さて、ここで冒頭の問いに戻ります。新型コロナウイルスの影響による夏の甲子園中止にさほど影響を受けることのなかった高校球児はいるのでしょうか。
一般的にはサッカーの高校選手権よりも野球の甲子園の方がメジャーだと思うので、なおさら「高校球児の夢、甲子園」というイメージが強いと思いますが、おそらくその通り甲子園出場を本当に夢見ている高校球児がいるのに対して、ただ野球がしたくて高校野球に勤しんでいる高校球児も一定数いるはずです。そういう高校球児にとっては、夢の舞台だとかそういうことではなく、「高校での野球に(半ば強制的に)区切りをつけることになっていた大会がなくなってしまった」という意味で影響を受けることはあっても、「夢の舞台である甲子園が中止になった」という意味での影響は受けなかったのではないかと思います。
言うまでもなく、甲子園という舞台は、高校球児にとってもその周りに関わる大人たちにとっても、多くの人が楽しめる非常によくできた装置として機能していることは間違いありません。
もし、甲子園が中止となってもさほど影響を受けない高校球児がいないのだとしたら、それはよほど高校野球界が不健全な状況にあるということなのだと思います。みんながみんな、誰かが決めたルールのもとに、誰かが決めた枠組みで、誰かが謳う画一的な価値観でしか楽しむことができないのであれば、それこそが本当の問題ではないかと思うのです。そういう意味で、甲子園中止に影響されない高校球児が世の中にたくさんいてほしいと思っています。
とはいえ高校球児に尋ねてみれば、甲子園が中止になったからと言って特に平気です、と答えるのはなかなか勇気のいることでしょうから、その声はあまり表に出てこないと思います。
高校球児の本音を聞いてみたいものです。
自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)