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私が超人社会学をはじめた理由

オムライスラヂオと私の肩書

人文系私設図書館ルチャ・リブロの青木真兵氏にお声かけいただき、「手づくりのアジール」刊行記念オムライスラヂオ(略してオムラヂ)公開収録に参加することになりました。紹介にあたり、肩書を教えてくれと言われ、何の気なしに現在の私の中心的活動である「一般社団法人ツノスポーツコミッション 代表理事」と返事をしました。公開収録の2ヶ月ほど前のことでした。

収録日が近づき、一体どんな話になるのだろうかという高揚感と、一体どんな話ができるのだろうかという不安感を同居させたまま、青木真兵氏の著書「彼岸の図書館」と「手づくりのアジール」を読み返していました。そして、いざ話の準備をしようと思いを巡らせたときに出てきたのは、私の半生における反省の日々から偶然見つけた実に個人的な生き延びる術と、今現在ツノスポーツコミッションで直面している日々の観察と実験から得られた考察と、都農に流れ着くまでに携わった狭い範囲の多岐にわたる仕事の経験から生まれた思案でした。その三者は明確に切り離せるわけではないものの、軸足の置き所でだいぶ話の方向性が変わる可能性のあるものでしょう。はて、一体何を軸にして話を展開すればいいのだろうか、あるいは展開されることになるのだろうか。その問いは言い換えれば、私は一体誰としてオムラヂに呼ばれたのか、となるのでしょう。その時にはたと気がつきました。肩書を聞かれた時に何の考えもなしに回答したことがいかに迂闊で不誠実であったか。
現在の日常生活において、ここのところ、月に1回程度のペースで人前で話をする機会に恵まれており、それはすべてツノスポーツコミッションの事例を紹介するものであったため、すっかりそれがあたりまえになってしまっていました。そのため、青木真兵氏からオムラヂ出演にあたっての肩書を聞かれたのにも関わらず、反射的に今の仕事上の役割を回答してしまったこの行為を、私はひどく恥じました。

事前打ち合わせによりトークテーマが「夢と職業」に決まり、収録はツノスポーツコミッションの代表という立場での話をメインの軸に据えました。むしろ私自身が勝手に肩書に合わせた話をしないといけないと気負ってしまい、結果的にそうなってしまったわけです。ですが、やはり話の内容によってはそうではない切り口の方が(自分としては)しっくりくることが多々あったと感じており、不完全燃焼で終わってしまいました。収録が終わり、気が抜けたのか、収録後の雑談タイムでは遠慮なく別の側面の話もしていたと思います。そもそも青木真兵氏が何をもって公開収録に呼ぼうと思ったのかは測りかねますが、きっと期待には添えなかったんじゃないかと思い、もっとできたんじゃないかと反省しました。

当のオムライスラヂオを主宰する青木真兵氏はと言えば、ある面では就労支援施設の職員であり、ある面では人文系私設図書館ルチャ・リブロのキュレーターでもあり、ある面では古代地中海史の研究者でもありますが、オムライスラヂオでは「オムラジの革命児」を名乗っています。書籍やオムラヂでの発言などから察するに、様々な要素を持つ個・青木真兵としての表現媒体がオムラヂであり、そこには就労支援施設の職員とルチャ・リブロのキュレーターと古代地中海史の研修者の側面がすべて混ざり合ったものとして表出されています。もう少し踏み込んでいえば、そこに至るまでの背景や現在の生活までも含めてです。そう思えば、私もやはり、何かと何かと何かが混ざり合ったものとして「その場」に出られるようになりたいと強く思いました。

肩書が表さない私人としての私

さて、ここでいう「その場」とはもちろんオムラヂを想定した「その場」です。ではありますが、それはオムラヂに限ったものでもありません。誰かが特定あるいは不特定の誰かのために企図した場というような意味合いです。
このような場に呼ばれる場合には、肩書がその人の属性、立場、役割といったものを明確にするために非常に役に立ちます。何らかの肩書があるからこそ、多くの人にその人がどういう人なのかを示し、その場での役割を認識させることができるのです。例えば現在の私で言えば、ツノスポーツコミッションの代表理事、あるいは都農町地域おこし協力隊として、という具合です。そしてこれが今の私には非常にバランスが悪く見えました。

確かに世間から見れば、先に挙げたようなツノスポーツコミッションの代表理事や都農町地域おこし協力隊の側面が大きいかもしれません。しかし、これは私の人生の中の限りなく一時的な役割を切り取ったにすぎません。
ワークライフバランスやクオリティ・オブ・ライフという言葉が浸透し始めているように、仕事と生活(一括りにするのは乱暴だと思うほどには生活にも多様な側面があると思いますが)を含めて一個人であるという至極当然のことを発信しなければならないくらい、世の中は仕事という側面を過大視してきたのだと思います。私も周囲の人から見れば私人としてではなく仕事上の人として認識されている割合が非常に大きいと感じています。それも無理からぬことで、どうしても日々接する社会は仕事を通した社会がほどとんどのため、私人としての私と接するに人々はごく限られた一部しかいません。

私にとって仕事はもちろん私を形成する重要な要素ではありますが、何が私を私たらしめているかと言えば、仕事上の役割とは大きく異なる実にプライベートな性質の中にこそあり、今の肩書が持つ意味やイメージからはむしろ遠く離れたところにあるのだと実感しています。内向的でネガティブで卑屈な気質は、およそ代表者を務めるに向かなければ、スポーツのようなパワーの源のような活力もなし、はたまた地域おこし協力隊という地域にポジティブなエネルギーをもたらす役割も似つかわしくありません。肩書から想像される人物像は、私がそこに至るまでの過程を丁寧に掘り下げていったときに表出される人物像とは、きっと大きな乖離があるだろうと思います。それは私人としての私の人物像がすっぽりと抜け落ちているからにほかなりません。

超人社会学研究者という私人としての肩書

では、この問題に対してどのように対峙すればいいのか。
この問いに対する一つの試みが超人社会学です。

まず考えたのが、一般的な肩書が仕事上の役割を示し、そのイメージが私人としての私と大きく乖離しているのであれば、その反対の側面をわかりやすく際立たせることでバランスを取ることができるのではないか、という極めて単純な発想です。それでは反対の側面のうち、どこに焦点を当てるべきか。
様々に括られる私の持つ性質のうち、仕事上の肩書のイメージから遠いものをいくつか考えると、内向的かつネガティブ志向であること、コミュニケーションが不得手であること、友だちが少ないこと、実力も実績も自信もないこと、といった要素が挙がります。さて、これらの側面を際立たせようとすると少々悲惨なイメージが過ぎるようにも思いますが、それは世の中が、外向的であり、ポジティブであり、コミュニケーション能力が秀でており、友だちがたくさんおり、実力があり、実績があり、自信がある人の方がおよそ一般的に優位に立てるであろうため、それを目指すを良しとする風潮があるからだと言っても過言ではないでしょう。少なくない人がきっとそうであったように、私はその風潮をその通りに受け止め、そのような性質を持ち合わせていないことに大いに悩んだ過去があります。そして、その風潮をまったくと言っていいほど気にしなくなるに至った経験があります。この気にしなくなるに至った過程こそが反対の側面として焦点を当てるべき最重要ポイントになるのだろうと思います。

そう考えたとき、私の経験を振り返って何が大きな影響を与えたかと言えば、それがキン肉マンだったことは疑う余地がありません。正確に言えば、現実世界で繰り返される負の経験による悩みや稀に起こる成功体験とキン肉マンという作品やそれに付随する世界観を感じる経験とを行き来したこと、と表現することができるだろうと思います。いつしかキン肉マンを人生のバイブルと評するようになったことも、これとまったく同じ文脈上に置かれます。

私は先日の記事内で超人社会学を以下のように定義しました。

キン肉マンに登場する「超人」たちの社会の成り立ちや超人社会で起こる出来事、あるいはキン肉マンという作品を取り巻く様々な事象を通して、現代の人間社会の実態や現象、その原因などを分析、考察することで、より豊かな生き方を模索する学問

拙著note「超人社会学はじめました」(2022)

私が日々実践してきた現実世界と作品世界の行き来により、自分のウィークポイントと思われた性質を当たり前のものとして受容してきた経験こそが、ここで定義した超人社会学の実践でもあったのです。主客転倒、この経験をのちに振り返ったときに超人社会学という一つの大きなまとまりとして位置づけることで説明がつけられるだろうことに気がついた、というのが正しい順番でしょう。いずれにしても、ここにこそ私人としての私の源流を強く感じます。
このように、私の肩書によるイメージの反対の側面をわかりやすく際立たせることに最も適した方法は、超人社会学の在野研究者としてこれまでの経験を研究成果としてまとめること、そして、さらに研究を進めていくことではないかと考えるに至ったわけです。

オムラヂネーム「チリチリウォーズマン」

オムライスラヂオではオムラヂネームという、いわゆるラジオネームのようなものがあります。これは、私の勝手な捉え方ですが、オムラヂに対してどのような立ち位置で参加するのかという自己の表明でもあると考えられます。
主宰する青木真兵氏が「オムラヂの革命児」というオムラヂネームを使用していることは先述した通りですが、実は私にもオムラヂネームがあります。私がオムライスラヂオに出演したのは先日の公開収録で3回目です。初出演となる2020年6月と、2回目となる7月に出演した際は、オムラヂネームとして「チリチリウォーズマン」を使用しました。3回目の出演にあたっては、肩書を聞かれたためについツノスポーツコミッション代表理事としてしまいましたが、最後の挨拶の際に青木真兵氏の振りもあり、オムラヂネーム「チリチリウォーズマン」も名乗ることになりました。

説明するまでもありませんが、ウォーズマンとはキン肉マンに登場する正義超人の一人、身体の半分がロボットで半分が超人のロボ超人です。また、チリチリは私の髪質、天然パーマの擬態語です。
私のキン肉マン好きを知る知人が似顔絵的に描いたイラスト(アイコンにも使用)がチリチリウォーズマンの始まりでした。これを私自身大変気に入っており、たまにハンドルネーム的に使用することにしていましたが、オムラヂネームとしてもこれを採用しました。
チリチリウォーズマンはかれこれ15年以上前、学生時代に描かれたものであり、仕事とは無縁、実にプライベートな内面が表現されたものです。社会人になってからこれを使用するというのは、ある種、仕事というパブリックな側面に対するカウンター的な意味合いがあるとも言えます。
オムラヂにおいて初回出演時にこれをオムラヂネームとして使用したのは、まだ青木真兵氏と直接会うことがないままオンラインでの初対面であったこと、また、厳密に言えば仕事関係ではありながらも共通の知人がさほど仕事の意味合いを強く意識しない状態でつないだという背景があったからかもしれません。あるいは、まだ私が自身の肩書に馴染んでいなかったからかもしれません。
いずれにしても、パブリックともプライベートともつかない曖昧な状態で臨んだ初回、2回目の収録に比べ、3回目は青木真兵氏が臨んだか否かに関わらず、私自身は明らかにパブリックを意識してしまっていました。
しかし、最初はパブリックを意識したような話をしていたわけですが、話が展開されるにしたがってどうしてもプライベートの側面の方が前面に出ざるを得ない、そうでないと表現が難しいことが多分に出てきたため、およそ後半はツノスポーツコミッション代表理事ではなくチリチリウォーズマンとしての私が話しているような内容にシフトしていったのです。

おそらく青木真兵氏の感覚としては、その回の中で何が一番肝になったかと言えば、仕事上の話ではなく私人としての私が話したその部分だったのでしょう。最後にチリチリウォーズマンというオムラヂネームへと誘導しました。私もまた、自らが話した内容から鑑み、それを名乗るべきであろうことも感じ取りました。

公開収録からおよそ1ヶ月が経ち、その様子がオムライスラヂオで配信されることになりました。3回目の出演となったその回のサブタイトルは「ぼくらはなり隊」でしたが、それすなわちチリチリウォーズマンとしての話がメインテーマとなった何よりの証左でした。

このことが超人社会学への道を後押ししたことは言うまでもありません。


【オムライスラヂオ出演回】

■2020年6月17日公開

■2020年7月8日公開

■2022年6月29日公開


【超人社会学入門】


自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)