『saṃsāra(サンサーラ)』16
16 着
花火が花を開いていく。
一つ二つ三つ。四つ五つ、いつまでもいつまでも続いていく。
腹の底に響き渡る大きな音。
あの鐘の音とはまた違っているような、どこかで似通っているようで。
それが合図で私の意識は戻ってくる。泥から私が戻ってくる。這い出てくる。暗闇の先、あたりに声が響いている。この旅の終着点。そう感じただけ。答えは知らない。けれどここが終着点。そんな感覚だけ。本当かどうかはどうでも良くて。これで旅は終了。そして次の旅の始発点。
花火が空を色づけていく。
私たちの到着を歓迎するかのような。
私たちをどこかへ送るためのような。
「ひいふうみい。」あの子供たちの声がする。
「ありがとう。ありがとう。」蝶がそう言っている気がする。
「よかったね。そこまでたどり着けばもう大丈夫」蛇は喜んでくれている。
物事のすべてを教えてくれるかのようにしゃべってくれる亀。けれど私は結局それを理解することは出来やしない。
クジラは高らかに歌っている。皆に届くように、皆の幸せのために。
「よくここまでたどり着けました。あの時はぎりぎりでしたからね」あの馬の優しい声がする。
「あの問答が全てです。忘れてしまうと思いますが、澱の様にしっかりと心には残っていますよ」あのウナギ達が優しい声を送ってくる。
「何も書かれない。これは何でも書けるという証。これこそが、夢であり未来であり希望に違いない」半紙を持ち上げて、黒い影の男がそう奏でる。
「ただ、1と2の間には永遠の1,何かが存在するのです。それを私なのかあなたなのかだれなのかが調べなくてはいけません」あの時の山猫は平然と申し出る。
「お疲れ様でした」あの魚の声がする。
「時間がなかったのにすごいことだよ」狐はケラケラ言っている。
「お前はとうとう、こうしたのだな。さあこの先だ。ここが終着点」あの八つ目の青い鳥が宣言のように言う。赤い鳥は黙ったままその様子を見ている。
花火が次々に上がる。周囲に轟く音も次々に。
静かに娘は口を開く。
「それでは、犬か私かのどちらかを選んでください」
娘は唐突に選択を迫る。
娘は声高に選択を迫る。
なぜ選択しなくてはいけないのだろう。
花火が次々に上がる。周囲を照らす小さな群れの大きな明かり。
「それが決まりなのです」
「旦那様。お疲れ様でした」犬の乾いた声がした。
「旦那様。選択はいつも突然で、無慈悲で、それっていうのは最初から決まっているものなのです。始めから終わりまですべてまごうことなく。ただ犬のあたしには、どうしたって答えはわからず。」
川には人形が流れていく。何体も何体も。行燈も一緒に流れていく、その人形たちを照らしながら。
彼らが間違わないように。彼らがきちんと行けるように。
「どうしたって、選ばなくてはいけなくて、それは仕方のないこと。未練もあるでしょうが、裏の裏は表だし、表の表は裏なの。それはすべてこの世の理で。誰がどうしても紡ぎ続けていくものなのです。どちらを選んでも恨まれるし。どちらを選ばなくても喜ばれる。選択をしなくてはいけないんです。選択はしていかなくてはいけないのです。答えはないのです。けれど答えなくてはいけないのが答えなのです。結局その選択で、いろいろ変わることはあるのですが、それもすべて決められていること。この犬もすでに決めていますし、もちろんあなたもすでに決めている。私もそれを知っている。だからここに、こうしているのです」
「なぜ選ばなければいけないのだろう。あなたと犬のどちらかを選べって、、どうして選択しなくてはいけないのだろう。もうすでに決まっているって、、」
誰も答えてくれない。これが決まりだとしかわからない。それも教えてもらったわけではなく。きっとそういう事なのだ。選ばなくてはいけない。これからのことを。自分のことを。
何周も何周も同じことを考えて。もう、よくわからない。もう、どうでもいい。
ここが終着点で、ここで終わりなら別に誰もかも一緒でも構わないのではないか?
「旦那様。どうぞあたしにお構いなく。旦那様には次があるように。あたしにも次のお役目があるんです。」へっへっへと口を開ける。精一杯の照れた様子を。
犬の目はもう見えてはいない。
私の目も濁っていく。
私の鼻もおかしくなっていく。
そこに居るはずの犬の感触を感じられなくなっている。
犬の声はどんどん遠くなっていく。
私の耳が壊れてしまったのか。
何も聞こえなくなっていく。舌の先の感覚も痺れておかしくなっていく。言葉も絞り出さなければ出てくるのを拒んでいる。
「お前を選ぶという選択肢もあるのだよな。」何とか言葉を振り絞る。
「旦那様。ありがとうございます。でも、でもね。それが幸せな結末かどうかは違うのですよ」
手に力の入らない私は、最後に犬の手綱を手放してしまった。
犬は消えていく。暗い闇の中に溶けていく。始めからいなかったかのように。始めから何もなかったかのように。あの時の馬の様に、闇に紛れていく。
そしたら川に流れてくる。
犬の人形。
あの人形たちとともに行燈に照らされて。
犬は声を出さないでいてくれたのだろう。
私を惑わさないように。
私がきちんと行けるように。
自分もきちんと行けるように。
だけど頭のどこかで犬の声が聞こえる。
「旦那様。あたしは犬ですよ。何のことやらさっぱりわかりません。ですが、ありがとうございました。楽しゅうございました。またどこかで、、、近いうちに、、、」