選択肢を減らすという生き方について考える①
「ヒールの靴を履かない」と決めた辺りから、モノを減らせるようになったなと振り返る。
我が家の靴箱にはスニーカーが大半を占め、その他はぺたんこのブーツやレインブーツが並ぶ。全部で10足ほど。
連日同じ靴を履きたくないタイプなので、足数は多め。
それでも減らしたほうだ。
本当に買い物お化けで、買いたいモノはだいたい買ってきた。とてつもなく高いものはなく、リーズナブルなものが多い。
だからこそ気軽に、よく考えずにすぐ買ってしまう。
俗にいう「安物買いの銭失い」というやつだ。
買い物とは、購入し家に持ち帰り、その後処分するまでずっと家で保管するということ。
ただ「安い」というだけで、後先を考えずにモノを増やすことや使い切れないことなど深く考えない。
安いから、捨てても惜しくない。そんな考えで家に持ち帰ったモノは今までたくさんあった。
ただ、そんな浅はかな考えで買ったものは、結局うまく活用できずに存在も忘れられる。
意味のない買い物を、私はいつまで続けるんだ?
そう思い始めてから、買い物=保管・消費・処分までセットで考えるようになった。
そもそも、服やファッション小物などは買っても買っても満足は一瞬。
稀に飽きずに使い続けるものもあるが、8〜9割は元を取れるほど使い切れてないものもあるのでは、と思う。
私の意識の中の、最大の敵は「見栄」だと思う。
職業柄、毎月何かしら服を買っている。服を買い続けることも、大義名分だと自分に言い聞かせて、罪悪感を心の奥に隠しながら
たくさんのファッションアイテムを買い込んできた。
子供みたいに、たくさん着替えが必要だったり汚すことも少ない。
ただ、いつも新しいモノを身にまとっている自分が知らず知らずのうちにデフォルト化していた。
着ることや使う事に飽き、めっきり出番がなくなっていても
劣化がないから捨てられない。どんどん溜まっていく。
こんな価値観の自分が、次第に嫌になっていった。
数が多ければ多いほど、人は迷う。
その迷いは、自分が深く考えずに家に招き入れた、たくさんの衣類・雑貨。
一日を過ごす中で、人は無意識も含めてたくさんの選択を迫られるという。
一つ一つの選択は大して時間を要しないかも知れないが、無数にあると疲弊する。
自分の中の根強い抵抗が見栄であり、最大の敵だと言ったが、意識を変える上で一番心に響いたのは、「足るを知る」という言葉。
ありきたりな言葉だが、本当にそれに尽きると思う。
未来より、今に集中する。
未来への不安は尽きないけど、この瞬間を蔑ろにしてはいけない。
そう言われている気がした。
選択の連続で疲弊しないように、服や靴、鞄やアクセサリーなど
点数を厳選し、フル活用できるか真剣に考えてから購入する。
選択肢を減らすことで、毎日のコーディネートも仕組み化。迷う時間を短くする。
無意識なストレスが激減することを約束しよう。
現役アパレル職のくせに矛盾し過ぎていて自分で笑ってしまいそうですが、最後に締めの一言。
「こんなに服は要らない。」
最後まで読んで頂きありがとうございました。