家庭のカルト化、母は教会の権威も虐待に利用した

1.キリスト教の教会関係者には、神学以外の問題を知ってほしい

まず大前提として…。
今までnoteを読んでくださった方には伝わっているのではないかと思いますが、私の母は「多くの人が普通こうだろう」と思うラインを軽々と超えてしまうような人物です。

また母は外での顔と家での顔がまったく違う人でした。家庭訪問にきた担任の先生に、必ず手作りのケーキを出すような人です。

だから私は当時の教会関係者に対して、
「母の虐待を見抜いて助けて欲しかった」とは言いません。ただ、私の事例を教訓として学んでほしいのです。


・クリスチャン性善説は、そのコミュニティで苦しんでいる人を見えなくすること。

・教会関係者は、家庭の問題に立ち入るからには神学以外にも虐待、児童福祉、メンタル疾患などについての知識を身につけてほしいということ。

・相談されたとしても無理に答えない、立ち入らないことで、かえって助かる弱い存在がいるということ。

2.聖職者の一言で、虐待を正当化する母

何度か書いてきましたが、私の育った宗派では、罪を犯したら聖職者にその罪を告白して赦しを得なければならないという教えがありました。
母は気に入らないことがあるたびに、これを強要して私を支配していました。

(そのため、私はこの教えが大嫌いでした。
 私の性格的に、教会の権威を強調し、教会を通して救われるという教えが合わなかったのもありました。)

そして母は、自分自身の罪の告白をしながらそこでの聖職者からの助言を虐待に利用していくのです。

その日の礼拝のあと、母は「罪の告白」をしていました。そして、いつもよりもワントーン高い声でにこやかに話し始めました。

「ママね、神父様に聞いたのよ。子どもを叩くのは罪ですか?って。
神父様がね、『いいえ、それは罪ではありません。あなたは良いお母さんですね』って言ってくださったのよ。ママ、今日はすっきりしたわあ」

母は救われたのね、よかったね。
でもそれを聞いた私はもう、透明人間になりたかった…。
母から見つかることもなく、こっそり台所の食べ物を食べて生きていったほうがマシだと思ったよ。

母が本気で悩んで相談したのか、それとも母自身を正当化するための言質を聖職者から得たかっただけなのか、母が正直に話すことはないと思います。

3.教会関係者に虐待の知識があれば、母の虐待はあそこまでエスカレートしなかったのではないか

そして聖職者も母が、ここまで激しい虐待を繰り返していたとは把握してなかったと思います。

そもそも聖職者自体が高齢で、体罰を当たり前に受けてきた可能性もあるんですよね。さすがに医療用ホチキスは使ってないと思うけど…。

でも、ここに虐待の知識があったらどうたったかと…。

体罰はいけないことを伝え、適切な相談先に母を繋いでほしかった気もするのです。
少なくとも、聖職者が意図していなかったとはいえ、母の虐待を正当化して、虐待がさらにエスカレートすることはなかったのではないかと思ってしまいます。

教会関係者は、家庭の問題を相談されたり、「信仰継承」のために家庭の教育に口出ししたりしますよね。
それならせめて最低限、虐待や最新の子育ての知識は身につけてほしいし、自らの言動が虐待を誘発することもあることを自覚してほしいです。
(私は、そうしたケースも知っています)

ただ、本当は知識の問題じゃなかったのかもしれません。
聖職者も、教会の人たちも、自分たちのコミュニティに虐待が存在するなんて思いたくはなかったのかもしれません

教会と人たちは、基本的には親切で上品です。
教会は、自分たちさえ気分よければいい、自分たちの自尊心さえ保たれていればいい、みたいな独特の冷たさを感じる場所
でもありました。
教会で不祥事(被害者がいるもの)が起こった時に、それは分かりやすく出てくるものでしたね。

結局、今も伝統キリスト教に2世問題が存在しないことにしたいのも、結局このメンタリティなのではないかと考えてしまいます。

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