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トラウマ治療中、治るのが急に怖くなった理由

ひとつ前のnoteでは、私が長年しつこい希死念慮に悩まされた理由について書いてきました。

私が臨死体験に似た経験をしたことで(しかもそれが、気持ち良かったために)、「生=苦しいもの」「死=気持ちいいもの」と認識のねじれができてしまったというものです。


ただこれは、日々の虐待で生きることに絶望していたことをベースに起こったことだと思います。当時の私がまだ幼く、絶望とか、生きたくないとか、そんな言葉を知らなかっただけ…。


その話を書きながら、そういえばもう一つ、認識がねじれていたものがあったのを思い出しました。それは「健康=危険」「病気=安全」というものです。


1.ある日突然「元気になることが怖い…」

トラウマ治療を始めて1年ほど経ったころのことです。なんとなく治療の形が分かり始めたのは良いものの、急に、良くなることが怖くなくなりました。


元気になったら、また無理をしなければいけなくなるんじゃないか…。
私はもう頑張りたくない…。
私はまだ休みたい…。
何もしたくない…。

とは言え、何もしたくない時点で元気とはほど遠かったのです。ここが分かっていない時点で、この頃はまだまだ治療が必要だったというわけです💦

1-1.背負い切れない義務を負わされることへの恐怖

休んでいた分、背負いきれない義務を負わなければいけないのではないかと思うと、恐怖で混乱してしまいました。
「義務を負わされる恐怖」は、両親とのあいだで精神的な親子関係が逆転していたのも関係していると思います。


1-2.「頑張らなければ責められる」という思い込みと恐怖

また当時の私は、人生に悲観しながらも
「どうせ報われないのに、頑張らないといけない」と信じ込んでいました。どうしてこんなに苦しいだけの営みを続けなきゃいけないんだろうとも思っていました。
頑張る姿を見せていないと、周り中から非難されるのではないか?という恐怖もあったと思います。

メンタルを壊して動けなくなって、日頃私に何をしてくれていたでもない人たちから責められたことは、やはり傷になっていました。

1-3.当時の臨床心理士は、「大丈夫、治ったら頑張らなくなるから。」と言うけれど

私は一体、何を言っているのか…。
早速、治療をしてくれていた臨床心理士の先生に相談したところ、
「大丈夫です。治ったら、頑張らなくなりますから」と言われました。

そのときの私の頭の中は、疑問符でいっぱい…。
頑張らなくなるってことは、人間として落第するってこと?人生の遅れを取り戻さないといけないのに?

…その後の私は、人生の遅れ自体を気にしなくなりました。今の私は、ただできること、やることを淡々とやっていくだけ。
成功してないし、生きる意味もない(強いて言うなら子どもたちへの責任はある)けど、とくに虚しさは感じません。

問題は、そんな私がなぜ「治るのが怖い」と思ってしまったかです。


2.「治るのが怖い」と思った背景

2-1.健康である限り、無理をしつづけないといけないと思っていたから

私は心身の調子を崩し始めるまえは、無理している状態が、通常の状態になっていました。母からの教育虐待も背景にあり、自分が無理をしていることにも気付きませんでした。
また母は何かにつけて「ちくわって、あんまり勉強しないよね」と言ってきました。そこで本当は十分無理をしているのに、ますます気づけなくなりました。

私が大学受験時代に相当無理をしていたと気づいたのは、トラウマ治療中…ではなく、ここ1ヶ月のことでした。
そのとき私は、書店で子ども関連の本や教材を探していました。たまたま大学の受験関連の教材が集まっているエリアに出てきたとき、色々な大学の赤本(大学入試の過去問が数年分載っている本)を見て、
「うっ…」
と胸が苦しくなりました。
視界がグラグラする感じもして、早々にそのコーナーを離れました。

私の人生、唯一の成功体験だと思っていたことが、実際には「トラウマ体験」だったんだ…。
これは、衝撃でした。
勉強自体は好きだったし、分かりやすく数字で結果が出るのも気に入ってたので、まさかそれに苦しんでいる自分がいたなんて…。
確かに、受験に理想的とは言えない環境で、相当追い詰められていたのは事実なので、トラウマになって当然だとは思うのです。

あれをこれからの人生も続けなければいけないとすれば、私の中の何かが悲鳴をあげても不思議はないです…。

それまでの人生に「無理なく、何かを積み上げていく」という経験ができていれば、心身を病むまで、また心身を病んだ後も自分を追い詰めずに済んだのかなとは思います。


2-2.「治ったことにされたくない」という気持ち

過去母親から精神科の治療を止められ、治ったことにされたことのトラウマも、
(背景には、母と私が通っていたキリスト教の教会の人たちの偏見や差別もありました)
今思うとあったのかなと思います。

その辺りの詳しい話は、こちらのnoteに書きましたが。


私はどこかで、
「治療がいらないものもみなされること」は、「私の今までの苦しみも、なかったことにされれのではないか」という、謎のこじらせを抱えていました。

私はきっと、どこかで、私はこんなに苦しかった!つらかった!寂しかった!と、誰彼わかって欲しくて仕方がなかったのだと思います。
(※誰彼わかってもらうとするのは、非常に危険ですよね…。そんなときのためにも、専門家は必要なのかなと思います)


そして次に書くのが、私が治ることを恐れた最大の背景です。


2-3.子ども時代、入院が一番安全だったから

また私は小学生のときに、病気で何度か入院していました。入院の理由は、その都度バラバラでした。私が入院したときの母は、別人のように優しかったです。

また病院の図書館に本がたくさんあって退屈しなかったのと、
(これは母が借りてきてくれました。私が本好きなのは理解してくれていました)
ただ本を読んでいれば良かったので、教室でのコミュニケーションで常に冷や汗をかく生活から離れられたのとで、
(これは単に、親の意向で漫画やゲームが禁止されていて、話すことがなかったからだと思う)
入院中は「ただ生きているだけで晒されるストレス」から解放されていました。

絶対に殴られない、怒鳴られない、(当時の私にとっては)世界一安全な場所。人目があるから母が大人しくなる場所。
それが病院の入院病棟でした。

この入院の経験も、まえのnoteの話と似たようなものだと思います。私の中では、ものの感じ方が反転していました。

健康であることは、無理を強いられて苦しいこと。病気であることは、無理やり背負わされた重荷を下ろせること、と言うように…。


3.治りたくない自分を、責めて責めての、その先へ。

当時はそんな自分を、ひたすら責めました。
「疾病利得」なんて言葉も頭をよぎりましたし、こんなメチャクチャな人生でまだ休みたいのかと、自分を非難しました。
でも、今だから分かります。あの頃の私にとっては、ただ日々を送るというだけで、もう死ぬほど辛かったということなんです。

結局、今日のnoteに書いたような反転は、よっぽど日常が苦しくなければ起こらなかったはす…。
まえのnoteでも書いたような、しつこい希死念慮と同じようなことが起こっていたのだと今なら分かります。

今の私は、子どもが目の前にいる以上がんばる場面はあります。でも、ここで頑張らないと子どもや私の人生の取り返しがつかなくなるとは考えなくなりました。

100%の完璧な成功が、奈落の底しか自分の人生には存在しないような、極端な2択でものを考えなくなったんです。
そこは治療をつづけるなかで、また妊娠まえに少しだけ社会復帰をしたことで、じわじわ変わってきた部分だと思います。一回の治療で感じる変化が全てではないんですよね。


こんなふうに、じわじわ変わっていくなかで、私が
「元気になるのが怖い」と思っていたこと自体を、普段は忘れて生きるようになりました。

今日はどの治療の効果とは言えないけど、治療や周りの人たちのおかげで、じわじわ考え方が健康的になっていった。そんなお話でした。

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