夫との交際を機に始まった、母のいじめと信仰強制激化

1.クリスチャンでない夫との交際とともに、母と兄弟からのいじめが始まった

母は元々、意地悪な人だったと思います。
それが、母の妨害を乗り越えて現夫との交際が始まると、

今まで以上に細かいことで、私の「不快なところ」をあげつらうようになりました。

〇「足が太い。もう少し細くしたほうがいい」と何度も何度もしつこく言う。

家族で温泉に行くと、母と兄弟のいる前で体重計を指差し、
「さあ、今乗って!」

と私にしつこく言っていました。そして私が体重計に乗ると、母と兄弟とで、
「うわあああ、デブー」とで囃し立てる。

(なお私の兄弟は、私がのちにウェディングドレスを来たときも、うわあデブだねえデブだねえとニヤニヤ言っていました)

私が外で歩いていると、
「なんかねー、足音が変。すっごく変な歩き方だね。不快だよ。〇〇さん(現旦那)も嫌だと思う」

私がご飯を食べるたびに
「うわー、変な噛み方。嫌な音」と言ってくる。

今の私はともかく、当時の私は、細身とは言わないまでも太ってはなかったです。
足音も、食べ方も現夫との交際が始まるまでは母から言われたことがありません。母は完全に嫌がらせ目的で言い続けていたのだと思います。

これら一つ一つは小さなことかもしれませんが、これを毎日やられると参ってしまいます

現夫は交際当初から今に至るまで、いつもしっかり向き合って話し合ってくれる人です。

私もこの人となら一緒に幸せを築いていくことができるかもしれない、互いに気持ちのやりとりができる夫婦になれるかもしれないと思っていました。
(キリスト教育ちなため、交際=結婚に結びつけてしまいがちではありました)

ただ母と兄弟からの嫌がらせはしつこく、理由をつけてデートをやめさせられるなど交際の妨害もされていました。
ベタな展開ですが、幸せを望むことは私には高望みだったのだという気持ちになりました。もう生きるのをやめてしまおうかと思ったくらいです。

たぶんね、今までの人生これだけだったら死は考えなかったと思います。幼いときからあまりにも色々あったので、
「ああまたか…。やっぱり神は私が幸せになるのを許さないんだ」
という思考のクセが表に出てきてしまったのです。

この頃はまだ、神が自分の人生に関与していると強く信じていました。
とはいえそれでもズルズル生き続け、今の私は、悩みはあれども暴力も暴言もない、平穏な日常を生きています。あきらめなくて、良かった…。


2.母からの信仰強制も激しくなる

そして、教会内での交際話をお断りしてから教会に行けなくなった(教会コミュニティが嫌いだと気づいてしまったため)私…。

母は現夫との交際が始まると、
「何?(教会に行かないのは)〇〇さんの影響!?」
としつこく責めてくるようになりました。


他には他の記事でも書きましたが、
「〇〇さん(現夫)と別れてクリスチャンと結婚するとき(処女じゃないと)困るから、〇〇さんとは関係を持つな」
としつこく言われました。
母はまだ、私がクリスチャンと結婚して、母自身が教会で褒められることを夢見ていたようでした。


それ以外の信仰強制については今までも沢山書いてきてきたで、この記事で新たに書くべきことはないのですが…。
つぎの記事ではこの部分に感じて、現夫との結婚の話がまとまったあと、母が信仰に関して喚き散らしていた内容を記していきたいと思います。

「信仰を棄てる」という言い回し自体が、
(棄てるも何も、こちらは選べなかったことを選ぶだけなのに)
信仰の自由を奪っている
と感じるキッカケになりました。
そんな話になる予定です。


3.今思うと、私が自分の人生を取り戻す過程だったかも

私がここまで母に根負けしなかったのは、初めてのことでした。当時はそこまで考えいませんでしたが、このときがあったから私は自分の人生を取り戻すことができたのだと思います。

だからこそ母が、それを阻止したかったのも分かる気がするのです。
私が母の影響の及ばない人間になっていくのが怖かったんでしょうね。

友だちが多かろうが、教会に人がたくさんいようが(でもその人たちは優しい言葉はかけても、具体的に人を助けることはないです)、母は寂しい人だったのかもしれません。

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