結婚式は、教会でやるから本物なのか問題について
私の記事すべてに言えることですが、今日書くことはあくまで私見です。
教会の結婚式こそ本物だ、尊いと信じる方がいるのは当然だし、その気持ちも理解できますし、尊重します。
毎週信者さんが礼拝に出ている教会は、独特の空気感があるのは事実です。
私が言いたいのは、「教会の結婚式は本物で、ぃゆる結婚式場のチャペルでの結婚式は偽物だ」とよそを見下したり、子どもの結婚式に干渉する親がいたら、それは違うんじゃないの?という話です。
私はクリスチャン2世として育ちました。
そして神や教え、教会のコミュニティに疑問は持ちつつも、結婚式は教会で挙げました。
そして実際に教会で式を挙げたからこそ、何が大切かを感じることができました。
(もっと言うと、自分が何を大切に思う人間なのかに気づくことができました。)
私は自分の夫との結婚式、本当にいい経験をさせていただいたと感じています。
しかし、そう感じさせてくれたのは、残念ながら教会でも、司式してくれた聖職者でもありません。
(聖職者については、一連の手続きでも振る舞いから、改めて尊敬できないと感じてしまいました。悲しいことですが、これが本音です)
私の結婚式が良いものになったとすれば、
・奔走してくださったプランナーさんやスタッフの皆さん
・色々譲って協力し、理解しようとしてくれた夫と義両親
・何より式と披露宴に来て、祝福してくれた、元々お世話になっていた人たち
です。
正直、結婚式で良かった要素にキリスト教はなし。
ただ、クリスチャン1世の母親への最後の義理は果たしたという、謎の達成感はありました(笑)。
当時、信仰の問題は未解決でしたが、自分の心が完全に教会から離れているのを再確認する機会になりました。
そして、私にとっての"本物"は教会や聖職者が関わっているかではなく、式に関わってくれた人たちの気持ちだったのだと気付かされました。
私の周りの教会の人たちは、世の中の式場チャペルでの結婚式を「形だけ」「商業主義」とバカにしていました。
でもプランナーさんなど関わっている人たちが、お金をもらっているからといって、そこに気持ちがないわけではない。
(聖職者や教会にも、少額ですがお金は払います)
そして新しい門出を何としても良いものにしようという気持ちは尊いです。
「教会だから本物」「聖職者が司式するから本物」という考えのほうが、今は形式的に感じます。聖職者も色々いるしね…。
教会をめぐっては、葛藤もありました。でも、それを通して自分への理解が進んだことも多々あったと感じています。
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