伝統宗教2世の被害は、本当に「軽い」のか

最近では(主にSNS上で)「伝統宗教にも2世問題があるんだね」と言ってくれるようになりました。
ただ時々、その後で「被害の重い軽いじゃないんですよね」と言われてしまうことがあります。
(言ってくださる方が共感を示してくださるのは伝わっています。決して非難したいわけではないんです)

確かに統一教会やエホバの証人の2世が受けてきた被害は言葉にできないくらいひどいです。
でも、伝統宗教2世(私の場合は伝統キリスト教)の苦しみは果たして「軽い」のでしょうか。

1.2世のメンタル疾患が多いのは、被害として「軽い」のだろうか

安倍元首相の事件のあと、私は教会関連のトラウマ記憶の洪水に悩まされるようになりました。
どこかで吐き出さないとおかしくなってしまうと思い、宗教2世としてのTwitterアカウントを作りました。

私は初めて、キリスト教2世や他宗教の2世と交流することができました。そこで驚いたことがあります。

それは、メンタル治療を経験しているキリスト教2世が多かったこと。そして教会を離れたあとも数年間地獄の恐怖に苦しんだ人、未だに地獄の恐怖で心を削られている人がいるということです。

ああ、私だけじゃなかったんだと…。
実は私の通っていた教会も、若い世代のメンタル疾患率や自死率が一般社会よりも高めでした。極端に高いというわけではありませんが、
「子どもの時から神様を知ってて幸せなはずなのにおかしくない?」
と、当時も疑問をもちました。


1-1.キリスト教2世にメンタル疾患が多い理由を考える

なぜキリスト教2世にメンタル疾患が多め(ちくわぶの肌感覚)なのか。私が考えている理由を、いくつか挙げます。私はキリスト教を悪く言いたいわけではありません。

今から書くことは、日本では「わざわざ親世代が選んで信じることが多い宗教」に共通することだと思うのです。
選民意識とマイノリティ特有のコミュニティの閉鎖性がある集団なら、どこでも起こりうることだと思っています。

①教会の狭い人間関係で大人たちから「見守る」よりも「監視」されて育つこと。(おそらく特に地方では、より顕著)
②教会1世の大人たちも(主にメンタル面で)ケアが必要な人が多く、子どものうちからケアラー的役割を負わされること。
(キリスト教がおかしいとか、そういう話ではありせん。ただ救いを求める人は、生きづらさを抱えていることが多いのも事実ではないでしょうか)
性的に抑圧されて、葛藤を感じたり、罪悪感で自分を無意識に罰してしまうこと。
④「原罪」や「罪」の刷り込みによる、自尊心の低下
⑤聖書のことばによる、否定的な感情の制限。(赦しなさい、敵を愛しなさい、など)
などなど…。
⑥キリスト教やクリスチャンのイメージが実態よりも良いため、コミュニティや親に疑問を抱いても、自分の感覚のほうを抑圧してしまう。


そして7つ目。私が個人的に深刻だと思っている理由は、こちらです。

1-2.宗教は時として、1世が解決すべき課題を覆い隠してしまう…

1世はその宗教に出会って救われたと確信しているけど、実はその歪みが2世の負担となっていることがあるというものです。

1世である親が本来解決すべき課題を抱えていながら、神に出会ったことで全て解決した気分になってしまう。または選民意識で自らの至らなさを直視せずに済んでしまうということがあります。

これ、身近な人間は相当キツいんです…。親は自分に酔っているから、何を言っても話が通じなくなりますしね…。

対話が不可能な親から神の名で価値観を押し付けられる。しかも親は絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうので、子どもが「〇〇はやめてほしい」(暴力、暴言、漫画やゲームの制限、教会に通うことの強制)と必死で頼んでも一切聞いてくれない。
ただただ絶望ですよね…。


1-3.マイノリティの文化で育つため、学校の友だちとのコミュニケーションを取りにくい

私は宗教虐待に加えて教育虐待にも苦しんだため、漫画やゲームを禁止されて育ちました。
私のいた宗派では漫画、ゲームの禁止はそこまで厳しくなかったものの、かなり厳しく禁止される教会もあるようです。このことは、SNSで交流さてきたキリスト教2世の発信で知りました。

私が思春期苦しかったのは、同年代と何を話したら良いのか分からなかったことです。
(大学では、漫画ゲームが制限されて育った人たちも少なくなかったため、コミュニケーションでそんなに困ることはなかったです…)

自分なんていても鬱陶しいだけだと思い、休み時間もひたすら本を読んで過ごしました。正直内容は頭に入っていませんでした。
「ああ、これくらい読んだから休み時間5分つぶせた。あと5分…」
なんて思いながら、活字で時間を塗りつぶしていただけだからです。苦しかった…。

そして、まあまあ若くもなくなった今、コミュニケーション力はどう育つのか考えました。
まずはアニメやキャラといった共通の話題で会話ができるようになって、その先に共通点の少ない相手との対話があるように思います。
私は一見どうでもいいように思えてしまう、この基礎固めができませんでした。

母は、コチコチの教養(苦笑)だとか信仰とか、特別なものを私に注ぎ込んで「特別な人間」を育てかったのだと思います。
母は暴力も酷かったので、虐待加害者なのは間違いないけれど、必死だったのは本当なのだと思います。

でも特別な人間を育てるよりも大切なことがあったのにね。
私も本当は、「ふつう」のこと(マジョリティが経験すること)を沢山経験させて、同年代の子どもと楽しく遊んだりおしゃべりしたり、させて欲しかったです。


2.もう一度聞きます。
伝統宗教2世の苦しみは「軽い」のでしょうか…。

伝統的なキリスト教と一言でいっても、その内実はかなり細かく分かれています。

娯楽の制限、教会外の人たちとの交際や恋愛の制限、性的タブーなどがどの程度厳格かは様々です。教会の人間関係の閉鎖性も、都市部が地方か、大規模か小規模かで変わってくると思います。

ただ2世それぞれの経験にグラデーションはあれど、教会という世界には2世たちの子ども時代を奪う側面があるのではないでしょうか。
無邪気でいられたはずの時間…。子どもに体験すれば後々豊かなものになるはずのもの…。

そして過度な献金が課せられることで、本来子どもに使えたお金が教会に捧げられてしまうのなら問題です。
(私のいたところは良心的でしたが、十分の一献金が求められる教会、高いですよね…)

伝統宗教2世の被害は決して軽いのではない。
統一教会やエホバの証人といったカルト2世の被害がメチャクチャすぎて、当事者も非当事者も感覚が麻痺している。

私はそうとらえています。

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