母が"キリスト教を利用した子育て"に求めたもの
1.「本当の良い子になってほしい」が口ぐせだった母
ここまで何回か、私が小学生のときの母からの虐待(宗教虐待)について書いてきました。
私の母はここまでして何がしたかったんだろう。
そう思ってしまいます。
これは、のちに私が治療を受けたカウンセラー(臨床心理士)も言っていました。
母はよく、
「ちくわには、本当の良い子になってほしい」
と言っていました。
母のいう「本当の良い子」とは、
・隠し事をしない、ウソをつかないこと
(だって殴るじゃん)
・外でばかり良い顔をして、家の中で悪い子にならないこと
(母にだけは言われたくない)
・私の心のなかも、きれいであってほしい
(人の心がきれいかどうか、なぜ母は判断できる気になっていたのか)
成人後、あるとき心を許した友人に
「私は嘘をついたから、母から暴力を振るわれたんだ」と話したことがありました。
そのときの友人の反応は、
「え!?子どもって嘘をつくものでしょ!?」
それで殴りつづけるなんて、信じられないというものでした。
それを聞いた私は、えええええ!?と、自分のことなのに開いた口が塞がらなくなってしまいました。
そのとき、母の言う「本当の良い子」は現実離れしたものだったのだと初めて気づきました。
私は達成できるはずもない(達成するのが適切とも思えない)目標を押し付けられて、それが出来ないと言って暴力を振るわれていたのだなと…。
母の私へのこうした要求について、長年私は「母は潔癖なのだ。」と自分を納得させてきました。
しかし私は、母みずからが道徳的に潔癖であろうと努力している様子を見たことがありません。
母は自身の虐待を隠蔽しても、罪の意識を感じない人間なのですから…。
2.キリスト教は、母にとっては私が独立した自我をもつのを阻止する武器だった
おそらく母は「我が子」というものが怖かったのだと思います。
赤ちゃんのときは良かったのかもしれません。
でも子どもは幼い時点で、少しずつ親の手を離れ、親には把握しきれない世界をもっていきます。
母にとっては、母とはちがう自我を持ち、母の知らない世界を持っていく存在が不安でたまらなかったのだと思います。
だから母は、キリスト教の神を使って私の内面まで支配し、把握したかったのだと思います。
嘘や隠し事をきっかけに暴力を振るったのは、我が子が母自身に把握できない世界をもつことの現れだからだと今は分かります。
3.母の「病的な信念」とキリスト教がかみ合ってしまった結果…
ここで、母が子育てに抱いてきた「病的だ信念」と、母が利用したキリスト教の教えについてまとめます。
○母が子育てに抱いてきた「病的な信念」
・母が抱いてきた「我が子が自分とは別人格になっていくことへの恐怖」
・母自身の恐怖を抑えるためには「子どもの内面までもクリーンにしなければならない」という病的な思い込み
○母が子育てに利用したキリスト教の教え
・「罪」を告白して赦されなければ、赦されない。下手したら地獄に行く。
(私のいた宗派では、罪が赦されるためには聖職者に罪を告白する必要がありました)
・神様はあなたのことはすべて、心の中までお見通し
キリスト教の教えの一部が、母の「理想の子育て」について「使いやすい」ものだったんでしょうね。
母のこうした「病的な信念」とキリスト教の教えとが、あまりにもピッタリ噛み合ってしまい、私への虐待がエスカレートしたのだと思っています。
結果、我が家はカルト化し、
かつ、神や教会関係者をふくめ、誰からも助けが来ることもありませんでした。
4.「本当の良い子」は、子どもを支配したい親には便利なことば
ちなみに「本当の良い子」という言葉は、母にとっては便利なものでした。
母の苛烈な教育虐待の結果、私は勉強が得意でした。しかし母はそれに対して、
「勉強ができても、本当のいい子でなければ意味がない」と言うのです。95点取れなければ、暴力を振るうくせに…。
母は見栄っ張りな人だったので、娘の成績を自慢にしていました。しかし娘が自分の支配下から抜けるのは耐えられなかったのでしょう。
「本当のいい子」という言葉で私を貶めることで、私が努力した成果を自分の自身につなげることは、ゆるしませんでした。
「本当のいい子」なんて生身の人間にはいないわけで、親からこれを言われて自信をもって対峙できる子どもはいないと思います。
そして母親から「お前は本当の良い子ではない」と言われ、かつ宗教虐待を受けつづけた私が、どんな自己イメージを持つにいたったのか…。
次の記事では書いていきます。
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