宗教虐待で、心の中の逃げ場もなくした私に起こったこと
1.宗教虐待は、心のなかの逃げ場を奪う
私は幼いころ、ほぼ空想の世界に住んでいました。虐待を受けている子どもにとって、唯一自由になるのは心の中だけです。
目の前の親が自分に何をしようが、家の中がどんなありさまだろうが、自分の内面に逃げ込むことで「私」というものを守って生き延びてきました。
しかし小学生のとき、母に連れられてキリスト教の教会に通い始めたときから、心の中にも逃げ場がなくなりました。
「神さまはすべてお見通しです。あなたの心の中もご存じです」と言われました。
さらに罪を聖職者に告白しなければ赦されないとされている私の宗派では、
「告白しなかった罪があれば、他の告白した罪が赦されない上に、告白しなかったという罪が新たに増える」と脅さてきたし、母はそれを利用して私を虐待しました。
さらに私は、はよく母から嘘をついたこと、隠し事をしたことを理由に暴力を振るわれてきました。
母にとってこの「嘘をつく」というのは、私の内面の自由を殺すための言葉でした。
※母の虐待で、私が嘘をつくほど追い詰められていた話はこちら。
2.私は透明なゲルみたい、身体を守ってくれる皮膚もないみたい…
身体の外側にも内側にも、逃げ場のない状態に置かれ続けた私は、いつの間にか自分を「透明なグジュグジュッとした塊(今思うとゲルのようなもの)」のように思い始めていました。
自分を守ってくれる皮膚さえなくて、透明なぐじゅっとした塊として、作業される台に載っている。俎の上の鯉のような感じ。
自分を隠して守れるものは何もなくて、「神様はお見通し」が反映されたよう。
ただでさえこんな頼りない状態なのに、神や母はこのゲルの中に小さな小さなシミを見つけては、
ほぼ毎日「ここに罪がある」「ここに嘘(隠し事)がある」と言って、ピンセットをグリグリ差し込んで取り除こうとしてくる…。
そんな精神状態でした。
いわゆる「自分の他人の境界線ができていない」状態だったんでしょうね。
私はさらに年齢を重ねたあたりから、他人に対して不思議に思うことが増えてきました。
「どうして他人は我が身を顧みず、私にばかり言いたい放題するんだろう」
「まるで国境を無視して、無理やり侵犯してくる国みたい」
などと思うようになりました。
信じてもらえないかもしれせんが、私、家の外でも本当にやられっぱなしだったんです…。
おそらく、こうした虐待を通して自他の境界線がほぼない状態だったんでしょうね。
3.「罪」や神を使って内面の自由を奪うことは、本当に必要なのか。
ただ、今思うと私の自己イメージも(好きでそうなったわけではないのですが)かなり歪ではありました…。
(もちろん搾取側や、他者を尊重できない人のことは、今でも肯定したくありません)
そしてこれは、心理療法で時間をかけて、自分は悪くないのだと思えるようになったこと。それに伴い、搾取してきそうな人たちと付き合うことが減ったことで、少しずつ改善していきました。
時々は自己主張できることもあり、そんなときは内心、
「サバイバー舐めんなよ。こっちは修羅場くぐってんだ!」
くらいのことは思っています(笑)
「罪」の意識や、「神様はすべてお見通し」と言って内面の自由まで奪うこと。
それは本当に必要なことなのだろうか。
私は決してそうではないと言いたいです。
私は、自分のことを守ることができなくなりました。
そして下手したら、私みたいに病んで何年も苦しんで、貴重な若い時代を無駄にすることになります。
もう、誰にもそうなってほしくないのです。