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短歌を趣味にする(初心者向け短歌上達へのアプローチ)

 俺だって短歌マスターにはまだまだほど遠いけど、独断と偏見で短歌をやるに当たっての上達するのに必要そうな意識すべき点をまとめようと思う。
 どうせやるなら上達したいじゃんね。

短歌とは

 まずは基本的なところのおさらい。
 短歌は57577の計31文字からなる定型詩だ。俳句のような季語は必要なく、また字余りや字足らずの破調にもそれほどうるさくないので自由度は高め。
 短歌を作ることを詠むと言って、短歌の歌の単位は『首(しゅ)』。
 歌人あるあるだと思うのだけど「じゃあここで一句!」みたいに振られてもそれ俳句とか川柳だから!ってつっこみたくなるよね。というかほら、首(しゅ)といえばみんな知ってるアレがあるじゃん。

 おそらく多くの人がもっとも身近に触れた短歌は昔の百人の人が一首(!)ずつ詠んだ百人一首のような和歌や古歌と言われるものだと思う。
 んまああとで詳しく話すけど昔の言葉で作る必要はないし、なんなら文語じゃなくて口語でもいいので初心者は身構えずに短歌に足を踏み入れよう。
 57577に文字を当てはめる、ルールはこれだけ。そうこれだけしかない。
 とりあえず57577に収めれば何となく短歌っぽくなってしまう。

1.とりあえず作ってみよう

 ともあれ、とりあえず31文字に当てはめるだけでは短歌は上達出来ない。
 俺は守破離の考え方が好きなのでこれに則ることが上達への近道かなあと思っている。
Wikipedia曰く

守破離(しゅはり)は、日本の茶道や武道などの芸道・芸術における師弟関係のあり方の一つであり、それらの修業における過程を示したもの。

とのこと。
 まず型を守り、型を破り、自分以前のものから離れて自分だけの道に到達する。というような意味合いだと俺は受け取っている。

 きっと短歌を始めようと思い立つまでに良き歌を読んで興味を持つことがほとんどかと思う。まずはその短歌を真似て、たくさん詠もう。
 自分は誰だったかな。最初は夢野久作の『猟奇歌』だったか。(たぶんこれはとても少数派だろうw)
 まずは31文字に当てはめるというルールを守ることを意識して詠むべきだろう。するとたくさん詠んでいるうちに何となく31文字に当てはめるのが上手くなる。
 型を破るためには当然、まずは型を知らなければいけないし、型を知るためには多くの歌を読み、また己で詠んでみないと身を持って型を守ることはできないのだ。

2.誰かの歌を読もう


 何となく短歌がわかった気になったらば次はたくさん他の人の歌に触れよう。
 個人の歌集でもいいし、ツイッターやうたよみん、utakata、うたの日などのネットのコンテンツ、NHK短歌などの番組や、雑誌ダ・ヴィンチの短歌くださいのコーナーなど、探せば短歌と触れ合える場所はたくさんある。
インターネット様々だ。
 そのうちきっと、クリティカルにハートに刺さる歌人が見つかるはず。
 それはもうきっと、衝撃というか爆発というか、とんでもないものを見つけてしまった!と思えるような出会いがどこかにある。
 良い歌をたくさん読めば自然と自分の型も良い歌に引っ張られてゆくだろう。

3.良い歌とは?

 さて、ここまではいわば土台作りだ。
上達するかどうかの分水嶺は正直ここだと思う。
 他人様の歌にどうこう言えた口ではないけれど、短歌投稿サイトを見ていると心に刺さるような良い歌が驚くほど少ないことに気付くと思う。
 その中でも良い歌を作る人はどの歌もレベルが高いが、中には何十何百と(時には千を超えて)詠んでいても一向に良いと思われる歌が無い人がいるのも事実だ。
 もちろん十人いれば十人なりの感性と短歌への想いがあるだろうが、思ったことをただ31文字に当てはめて短歌にすればいいという考え方は未だに受け入れがたい。良い歌を作る人は、捻り出したアイディアをさらに練りに練って叩いて伸ばして完璧なものを作ってやろうという気概を感じる。
 よっぽどの天性の才能でもない限り、上達しよう、良い歌を作ろうという意識をしないで良い歌が作れるようにはならないと思っている。

1).短歌は詩である

 よくある残念短歌の例として、ただの日記のような文章になってしまっているパターンがある。詩であるならば詩的強度を限界まで高めてやらないともったいない。

ただ文字を三十一文字(みそひともじ)に当てはめるつまらぬ短歌これがいい例

 31文字という制約は小さな文章を作るには十分に事足りる文字数だ。それ、ツイッターか日記にでも書きなよというような文章に詩的価値は低い。
 31文字にいかに色や香りや手触り、心揺さぶる世界観を詰め込めるか、ここに尽力するから短歌は面白い。
 ちょっとした言葉の言い換え、ひらがなカタカナ漢字はどれが適当か、前後を入れ替えたりあえて破調させたりすることで伝えたい心の動きをいかにエモーショナルに、効果的に引き出せるか。
 こういうことを意識して歌を詠むことが何より上達するためには必要だと思う。

2).小細工は上達してからで

 歌人枡野浩一さんの著書『かんたん短歌の作り方』において、枡野さんは
・一行縦書きであるべし
・文章としても破綻のない歌とするべし
・説明不要、その歌だけですべて理解できる歌とするべし
と語っている。
 これは個人的に大いに賛成で、短歌の地力を上げるにはシンプルに短歌そのもののクオリティを上げる方向に舵を切るべきだ。
 あとよくあるパターンとして、文字の配置や背景などを工夫すると中身がスカスカでも詩っぽさが出てしまう落とし穴もある。雰囲気イケメンみたいなもので、よくよく見れば短歌としての強度は低いのに雰囲気だけでよく見える。 

 顔の造形は仕方がないけど、短歌は努力でなんとかなるから!(たぶん)

 細工自体は否定しないが短歌をやる上で良い歌を作りたいなら最初は余計なノイズは入れない方がいいと思う。その一首で完成されたものを目指すべきだと思う。そういった創意工夫は良いものを作ることができてから考えればいい。
 句読点や空白も、それを入れることでより完璧になる!という確信が無い限り基本的には入れなくていいと思う。

3).共感と驚異を

 歌人の穂村弘さんは良い歌の条件に共感と驚異(ワンダー)を挙げている。
驚異はヒップホップで言うところのパンチラインだし立川談志の曰くイリュージョンだ。
 先に挙げたいわゆる残念短歌は大抵共感部分しかない。ここにいかに驚異のイリュージョンを組み込めるかが肝になってくると俺は思っている。
 たとえばツイッターでバズっていた岡本真帆さんの歌で

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし

という歌がある。
 ここで言う驚異は間違いなく『傘もこんなにたくさんあるし』だ。
 普通に考えれば、ほんとうにあたしでいいの?の後に続くのは、かわいくないし、とか、性格悪いし、とか、体重××kgだし、というような言葉だろう。
 それは一般的に共感を呼べるものではある。だが、傘がたくさんある、はどうだろう。
 一見、えっ?傘?と考えてしまうが、しかし思わず傘の話なんかしてしまうところに、テンパって変なこと言っちゃうのあるよね、微笑ましいね、自分も天気予報みないで出かけて出先で買った傘がたまったりするし、それ見られるのはちょっと恥ずかしいなあ、というように、容姿や性格を槍玉に挙げるよりもずっと深く暖かい共感が生まれる。
 パッと見ればおかしな繋がりがより深い共感を呼ぶ、これが驚異のイリュージョンだ。
 一瞬考えてしまう、というのが驚異の効果で、ただ流し読みさせてくれない、強制的にその歌の世界に引き込むトリガーとなっているのだ。

4).言葉遣いはどうするよ?

 話は戻るけど、昔言葉を用いた文語の短歌、というのは当然その言葉の意味を知らないと共感が生まれない。
 言葉には直接的な意味だけでなく、隠喩的なニュアンスや纏っている空気というものがある。
 日常的に使っている言葉でさえそうした曖昧な部分を表現するのが難しいのに勉強しないとわからないような古い言葉でその空気感を表現するのは難しい!だから現代語で!というのが『かんたん短歌の作り方』の意見だ。
 これは絶対ではないけれど、参考にすべき意見ではあると思う。自分が描きたい世界を効果的に表現するのに適したもので表現すべきだ。
 また、良い短歌は読んだ瞬間強制的に五感や感情を追体験させられる。
 手早く読者のハートに己のこの熱い情動をぶちこみたいならやはり現代語が良いと思う。

5).おまけ

 穂村弘さんの『はじめての短歌』や枡野浩一さんの『かんたん短歌の作り方』を読むと歌のレベルの底がグッと上がるので読むことをオススメしておく。

6).おまけその2

 これはおそらくまだ誰も言ってないと思うんだけど、ツイッターなどのSNSやnoteなどで、普段短歌を読まない人に短歌を読ませるなら本文に短歌を乗せるよりも画像にして投稿した方がいい。白地に黒文字で言葉を並べるだけでいい。できれば明朝体で。
 文字がたくさん並んでいると目が滑っていきがちだけど、画像にすると、開く(どんな画像だろう)という一手間が加わり読ませる力が強くなる。
 受動ではなく能動で読ませるというのがミソだ。

4.日常や妄想を短歌へ落とし込む

 さて、心構えが出来たところであとは実践あるのみ。
 日常生活を短歌にする場合、多くの情報を入れたくて詰め込んだ結果、何を言いたいのかわからなくなるパターンはよくある。
 絶対伝えたい1フレーズ、1動作だけに絞って歌を詠むイメージの方がいいかもしれない。

 ここからは俺個人のやり方なので参考にならないかもしれないが、というか他の歌人と繋がりが無いので他の人のことはよくわからないのだが……、まず俺の詠む短歌はほぼ妄想だ。もう少し耳障りのいい言葉を使うならフィクションだろうか。
 社交的な方ではない上にぼっちだので参考にすべき色恋や交友の実体験がほとんどない。だから日常生活の中の思い出で短歌に落とし込むほどの濃いエピソードがないのだ。
 だからか俺は短歌を、映画や小説のようなものだと思っている節がある。短歌が浮かぶ時には同時に映像が思い浮かんでいることも多い。
 カメラワークのように画面が動いて何かにズームしたりまたはフェードアウトしたりする頭の中の映像から短歌に落とし込む。
 先にパンチラインとなりうるキメフレーズが思い浮かんだならば、そこから世界を組み立てていく。

 ただ何もないところから生み出すのは大変なのでインスピレーションを得るべく色々なものに触れるようにしている。それは映画であり漫画であり音楽でありツイッターのTLに流れていく言葉たちであり……。
 鏡のように穏やかな水面に石を投げ込めば波紋が広がっていくかのごとく、頭の中にインスピレーションの餌を投げ入れてやると頭の中の世界が広がってディテールが鮮明になっていくのだ。
 事実は小説より奇なりとは言うけれど、人間の想像力で現実を超えてやる!という気持ちで俺は短歌に立ち向かっている。
 さらに言えば俺は俺の短歌で人類を滅ぼしたい。自分で詠むなら読んだ人が死んでしまうくらいのパワーがある歌を作らないと意味がないじゃないかとまで思っている。
 そのためには31文字を徹底的に煮詰めなければ到達出来ないだろう。今ももがき苦しみながら、それを楽しんでいるところだ。

 これは今時点で俺が思うことであり、また1年後1ヶ月後、もしかしたら明日には違う意見になっているかもしれない。
 しかしこれが誰かの良い歌を生み出すための助力の一つになったらいいなと祈っている。

 じゃあ御託はこれくらいにして、みんなも早速短歌やっていこうぜ!

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