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バスケ論 草バスケでセンタープレーを強要してはいけない

バスケは基本的に立体的なスポーツなので、背が高い選手は有利になる。しかし、悲しいかな、バスケをしていて一番つまらないポジションは絶対的にセンターだろう。
今は慣習的に、背の高い選手も外郭シュートを打てるようになってきたが、センターは基本的にゴール下に張り付き、狭い密集エリアでコツコツ働く。そこには、華麗なドリブルもなければ、外郭シュートもない。
ゴール下という事は、エンドラインからエンドラインまで、行ったり来たり、他の選手より長い距離を走る。ポジション取りは誰も見ていない所で押し合いへし合いを常にしていないといけない(更にたち悪いのが、チームの人間すら見ていないと、やっとの事面取りしてもパスもこない)。ドリブルはつけず、3Pも滅多に打てない(というか打ってはいけない、という空気がある)。シュートが下手なチームだと入らないシュートの球拾い(リバウンド)も強いられる。縁の下の力持ちとは言ったものだが、一番地味でつまらないポジションである事は確かだ。

私は、身長が高い方だ。なので草バスケをやっていると必然的にセンターのポジションの人間になる。しかし、学生時代のガチなバスケではシューティングガードをやっていたし、やっぱりバスケの醍醐味であるドリブルはつきたいし、外からのシュートも打ちたい。普通にそして純粋にバスケを楽しみたいのだ。なので、楽しむ事を目的とする草バスケでは、外のプレーもする。

そうすると必ず、ほぼ100%、こんな事を言い始める奴がいる。「背高いんだからリバウンドとってよ」とか「もっとインサイド入ってよ」と。
は?である。
こっちはバスケ楽しみに来てるのに、なんでテメーにポジション決められねーとならねーの?
お前の入らない外郭シュートの球拾いをなんでボランティアでやらなならんの?
こっちが中でせっせと場所取りして、ボール貰えるタイミングすら見逃すせっまーい視野のくせして、何気取ったトリックドリブルして気持ちよくなってんの?
そのくせコーナーに追い詰められるとすぐにテンパる、ローで場所取りしてるのも見てない、挙句スティールされるのに、中で場所取りしても意味なくね?
というか、そんなリバウンド、リバウンド言うなら、テメーもリバウンド入れ、みんなで取りに行ってもいいんだから。
「あー、ショート!」とかどっち道入らないテメーの下手なシュートの分析する暇があったら、打った人間もリバウンドに入れ。
と言いたい。

中に入れ、というのも分かる。背が高い人間がセンターをやるのは不変のセオリーだし、背が低い人間からすれば、背高い人間にドリブルとか外郭シュート打たれると、自分のお株を奪われたような気持ちになるのも分かる。

しかし、私の30年くらいのバスケ経験からの結論は、「草バスケで、相手にやりたくないポジションを強いるのはマナー違反」である。
※勝利を目指す組織的なチームではその限りではない

「中に入れ」とか「リバウンド取れ」とか言う人間は、だいたいニワカが多い。はっきり言ってしまうと、学生時代にパッとしなかったベンチプレーヤーが青春迷子になっており、草バスケでぶいぶい言わせたい。そんな思惑スケスケなヤローがほとんどで、逆にやり込んでいた人間は練習や勝負の厳しさをある程度知っているので、「草バスケくらい、のほほんと楽しもうよ」と心得た感じに楽しめる。がしかし、青春迷子ヤローは、自分がスタメンでいたいから少ないメンバーでチームを組み、でも変に色気も出すから背の高い人間をリクルートしてくる(自分の下手な外郭シュートの球拾い要員として)。で、他が上手い知り合いをチームに入れようとすると、(自分の居場所を奪われるのが嫌なのだろう)、「これ以上人数増やしたくない」とか理由を付けて、チーム合流を拒む。
そして、こちらが「ちゃんとディフェンスしろ」とか「打つならしっかりシュート決めろ」とか体育会系的に理詰めると、決まってこれを言う、「バスケは楽しむ為のものだろ!?」。
ため息がでる。「なら、こっちにも楽しませろや!!!」と殴りかかりたくなる。

たぶん、こんなのが理由でバスケを辞めていったセンタープレーヤーはゴマンといる事だろう。私の体育会系のバスケ友達も、だいたいがこの理由からチームに所属する事を拒んで、即席でチーム分けするスポセン等のエンジョイバスケでバスケ人生の余暇を楽しんでいる。
こちとら、辛いフットワークも走り込みも、フィジカルもやってきてる。辛い練習から逃げて、上澄みだけすくってるのはすぐに分かるし、自己満だけのバスケ論にはヘドかでる。

勝負というのは自己犠牲の上に成り立っている。チームの勝利の為に努力をして、時には我慢をして、一丸となって勝利を目指す。名門校では、プレーヤーを目指していた子がチーム指名で専任マネージャーとなり、(選手としてコートに立ちたかったであろう)涙を流しながら、三年間、選手のマネージメントに徹する。そこには、「勝利の為、チームの為」という自己犠牲があり、それをチームメイトも知っているから引退時はマネージャーに最大の賛辞が贈られる。そういったチームで、各々が与えられた役割をこなし、チームの勝利の為に自己を捨てて努力するのであれば、センターというポジションも報われる。
はっきり言って、草バスケにはその精神がない。それはそれでいい。「バスケは楽しむもの」というのにも概ね賛成だ。ならば、負けてもネチネチメソメソ言わない、嫌がるポジションを無理矢理やらせない、というのは一定のマナーではないだろうか?
それでも、「センターやれ」と自己犠牲を強いるのであれば、自身も努力をしないといけないし、下手クソな自分の隠れ蓑の為に「バスケは楽しむもの」という大義名分じみた言い訳はするべきではない。

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