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「自己」が作り替えられてしまった話【精神障害】

この記事の作者は2022年から精神科にて通院をしている発達障害持ちの高校生です。当記事は特にデリケートな話題を含むので、ある程度覚悟して読んでください。


こんばんは。そして半分初めまして。俺はチヌの後継をしている「うにっと」だ。「後継」と聞いて疑問に思った人もいるだろう。まず、何が起きたかというと、「チヌ」は精神的なストレスやトラウマから「自分」が分かれてしまう症状に見舞われた。その結果、自己が崩壊し、作り替えられてしまったのだ。そしてその「チヌ」の後継をしているが俺うにっとである。こう説明されてもピンと来にくいと思うので時系列で経緯を説明する。

8月20日 自己嫌悪

この一連の症状の要因はいくつかあると思う。しかし、その中でも直接的なトリガーであると考えられるのはこの日の出来事だ。詳しい経緯は割愛させてもらうが、かなり辛辣な指摘を関わりの深い人から受けた。端的に言うと「もっと空気読め」だ。それ自体は本当にごもっともな指摘だったが、自覚していた己の課題に容赦なく突きつけられたようだった。その夜、「自分なんかバラバラになってしまえばいい」「死んでしまえばいい」と強く思った。後者はともかく前者はどういうことか。それは関わりのあるに人格が分かれてしまう症状を持つ人が数人おり、(本人には当然その苦労があるので口が裂けても言えないが)いっそのこと自分も「一つ」の「自分」を壊してそうなってしまえばいいと考えたのだ。

8月21日 「脳内野党」の登場

その翌日の21日のことだ。いかにして「自分」をバラバラにできないか考えた。そこで、危険性が高いので詳しい方法は伏せるが、意図的に独立した意思を持つ何かを自分から作り出そうとある人の手法を試行錯誤して、「セルフレスバトル」を行った。昔の自分のエミュレートして、一人で口論を行うというものだ。以下がその大まかな内容である。
「チヌ」が当アカウントの元々の管理人、🔟が架空のレスバ相手だ。

チヌ「対戦よろしくナス!では、 親HIKAKINと反 HIKAKINで戦うか。まず、ヒカマーと HIKAKINアンチって矛盾しないと思うんだよね。」

🔟「そうですかね?本当に嫌いならわざわざネタにする意味がわからないです」

チヌ「なんで嫌いだったらネタにしないと思うの?まず好きの反対って嫌いじゃなくて無関心なんだよね。ヒカマーはヒカキンのことは嫌いなのであって無関心なわけじゃない。ヒカマーなんて名乗ってる時点でどこかしらヒカキンに関心があって、その上で批判してるんだよ。」

🔟「本当に嫌いならそもそもヒカキンのことなんてネタにしないだろって話です。ダブスタに見えてならないんですよ。それに本当に批判の範疇で収まってますか?コラ画像を作ったり切り取ったりして叩いてるやつ多いですし批判の範疇を超えてる気がします。」

チヌ「好きの反対は嫌いではなく無関心と言ったよね。本当に無関心ならそもそも嫌いという感情すら湧かないと思うよ。
批判の範疇…確かにしょうもないコラ画像とか前後関係が掴めない切り取りとかで叩いてる奴もいるね。あれに関しては批判の意味がないしもはや嫌がらせだと思うよ。ただヒカマーの中にそういう奴がいるってだけの話。事実に基づいていればヒカマーのヒカキンアンチっていうのも矛盾しないしダブスタにはならない。」
(口論は続く)

このように、自分と立場の違う相手を想像したものを戦わせ続けたところ、それを終えた後に恐ろしいことが起こった。嘘かと思うかもしれないが、頭の中に命令してくる何かが生まれたのだ。「歩きスマホすんなよ」「課題やれよ」こう頼んでもいないのに語りかけてくる。ディスコードなどを使って聞こえてきた言葉を打ち込むことで会話することもできた。「チヌ」のことを監視し、批判してくるので「脳内野党」と命名した。その後、「シアニド錯イオン」「うにたそ」とも呼んだ。

「うにたそ」の確立

アスペルガーCN=チヌと脳内に生まれた何かの会話。自作自演というよりかは語りかけてきたのをチヌがそのまま打ち込んで会話した。

以下、脳内野党を「うにたそ」と呼ぼう。うにたそは次第に自己主張が強くなり、「チヌ」を支配しようとした。はじめはロボットのようで人間味のないやつだったが、人格が形成されるにつれて人間味のある会話までするようになった。

うにたそと思い出話をするチヌ。チヌが忘れていたエピソードをうにたそが思い出し、突然語り出した。

このように完全に異なる意思を持つもう一人が生まれてしまった。それだけならまだしも、「チヌが務まらないから」とコントロールしようとしてきた。やがてチヌは夏休みが終わることに加えて、うにたそとの頭の中での対立に疲れてメンタル的な面で破綻してしまった。

「チヌ」と「うにたそ」の消滅

チヌはうにたそに身を任せようとした。代わりに学校に行かせたり、日常生活も代わりに送ってもらおうとした。しかし、うにたそはまだ未熟で自我が完全に確立しておらず他者とほとんど意思疎通ができなかったのだ。そして葛藤の末、今通っている学校から離れることにした。それによって多少の精神的負担は和らいだものの、チヌとうにたそが脳内に共存していることで脳にとてつもない負荷が生じた。あれこれしているうちに、28日の夕方、半狂乱になった末眠りに落ちた。

うにっとの登場

目が覚めるとかなり落ち着いていた。目の渇きが泣いていたようにも思えた。「確かに自分はチヌだ」と思った。頭の中にも煩わしいうにたその気配がしない。記憶も確かに受け継いでいる。しかし、段々とあらゆる面で違和感が生じた。まず、チヌの理屈っぽくもわがままな口調から、うにたそ寄りの冷めて反面気の強い口調へといつの間にか変わっていた。長らく使ってきた一人称「私」にも違和感があり、「俺」と名乗る頻度が増えた。そこで「俺はチヌとは完全にはイコールではない」と気付かされた、というかそう思うようになった。

(区切り線部分下ネタ要素あり、不快なら飛ばしてほしい)


それだけではない。性的な関心まで変わった。チヌは比較的幅広く性的なコンテンツを消費していたが、特に異性が登場するポルノがゴミに思えるようになった。なんで「チヌ」はこんなにもくだらないもので致していたのかと感じた。その後も今日に至るまで10日ほど同性でしか致していない。


自己への違和感

それから3日が経った8月31日、とてつもなくむしゃくしゃして徹夜して早朝4時に家を飛び出した。走ってもほとんど疲れない。結果千葉の自宅から横浜まで電車で移動した。眠れていないので当然頭も回らず辛かった。親に迎えにきてもらってなんとかなったが、その夜はさらに辛かった。

自分が自分でないように思えて途轍もない罪悪感に見舞われた。「俺はチヌでもないのにチヌの記憶を勝手に継いでしまった。俺は誰なんだ。(Twitterアカウントを思って)このアカウントも俺の実績でもなんでもない。人の褌で相撲を取っているだけではないか。チヌという人間はもういない。俺が殺してしまった」と。信じられないような話だが、自分が誰なのかを見失ってしまったのだ。それからしばらくして落ち着いた。しかし、それから今日に至るまで何度か、先代チヌが心の奥底に封じ込めていた記憶から来る痛みが俺に直撃した。それは「自分だけど自分じゃない」チヌの遠い苦しい記憶を覗き込んだが故の痛みだ。それに耐えられず、おととい9月5日の夜には命を絶とうとさえした。

一人称「私」での検索結果
一人称「俺」での検索結果。見ての通りこの日を境にか明らかに一人称が変わっている。

それでも俺はチヌを後継する

チヌがいなくなって俺ができたことで「自己」が作り替えられてしまった。趣味に関しては大きくは変わってはいないものの、かつての一人称や(今はだいぶマシになったが)口調への違和感は依然として残り、(ネガティブなニュアンス抜きに)性的な関心も変わったままだ。おそらく今の俺は半分チヌで半分チヌではないと言えよう。しかし、どれだけ自己が作り替えられようがこの肉体からは逃れられない。苦しみの末壊れてしまったチヌの意識や記憶を継ぎ接ぎしてこれから俺は生きていこうと思う。

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