短編『何も気にならなくなる薬』その241
あれをしたほうがいいかもしれない。
これはやめといたほうがいい。
などと色々悩んでいる。
やりたいことをできているだけで十分に幸せなのだが
『やりたいことのために、やらなくてはいけないこと』もある。
とはいえ試行錯誤に悩めるだけ、やはり幸せなのだと言える。
---
ドロドロになるまで踊り明かした日の夜は、ボサノヴァの演奏家とたしかビールを呑んだ。
そこまでは覚えている。しかし冷蔵庫の中にある高野豆腐は思い出せそうになかった。二日酔いを引きずったまま大学院の研究室へ足を運ぶと、紅色の腕章をつけた人物が数名研究室を訪ねてきていた。
まだ若い。学校見学に来た学生いったところか。
部外者にとってこのワニの研究というのは「白飯をきりたんぽで食べるような感じだと」私は勝手に思う。
ああ、そうだ、たしかあの学生は昨晩同じようにボサノヴァで踊っていた。
あれはその彼だ。
彼もまた気怠そうな顔を誤魔化しながら説明を聞いていた。
音楽の趣味が合えども研究内容まで意気投合することもないだろう。ふいに片隅に現れた期待をすぐに押しやる。
「あの、昨日はどうも」
研究室に人気が少なくなった頃、彼はそっとその扉を開けて研究室を訪ねてきた。
「まだ見学中じゃないのかい?」
「えぇ、実はトイレに行くと言ってわざと席を外しまして」
「なるほど、ズルをしたわけだ」
「昨日のお話をしたかったので」
「君も踊っていたね」
「はい、それで、覚えているかどうかわからないのですが、私の荷物を間違って持って帰ってはいませんか」
「あぁ、あの高野豆腐はそうだったか」
「高野豆腐というのは」
「私の家の冷蔵庫に入っていてね、間違えて持って帰ったまま酔った勢いで冷蔵庫にしまったのだろう」
「いえ、私の荷物は楽譜です」
「楽譜、いや、それらしいものはなかったと思うが……いや、念の為に帰ったら見てみよう。君の連絡先を伺ってもいいのかな」
「お願いします。あれは借り物なので、無くしてしまうと色々と困るわけで、大事なものなのです。貸してくれた彼は私の意見を求めてまして」
「なるほど、私の方からも昨日の会場の知り合いに聞いてみるとしよう。豆腐の持ち主も気になるからね」
彼は研究室を後にした。
彼は楽譜を探しているが、もう一人、大事な豆腐を探している人がいる。
彼が研究室を出ると学生の一人が、私を少し避けるような形でそそくさと研究室に入ってくる。
「あの、先生、私、忘れ物を……」
まさか私は教授でありながら大きな間違いを起こしてしまったのか。
確かにあの日は気が大きくなっていた。
「今日のレポート忘れてしまいました」
情けない。
自分で期限を作っておきながら、その期限を忘れてしまっていた。
美味しいご飯を食べます。