短編『何も気にならなくなる薬』その214
「書くことがない」という言葉をよく聞くが、何でもいいのであれば、書くこと自体はそこまで難しくはないと勝手に思っている。
初めて読書感想文を書いたとき、自分の思ったことを人に知られるのが嫌で嫌で筆が進まなかった頃が、私にも確かにあった。
思ったことを言う事の大切さ、人に伝わるかどうかを考えるいいきっかけだと今になって思う。
義務教育もまんざらではない。
とはいえ、世の中には余計なことを言う人が多い。
動画サイトのコメント欄は最たる例で、面白いものもあれば時折気分を害するものもある。
この感情が沸き起こるたびに、自分を棚に上げることは容易で、他人を鏡にしなくてはとつくづく思う。
言葉を扱う以上、ましてや形に残る以上最低限のモラルはもち合わせたい。
人生で時間が有り余っていると思うことが最近よくある。
実際はそんなことはないのだが、ぼんやりと動画を眺めている自分を俯瞰すると、やはり人生には時間が有り余っているのだと錯覚してしまう。
時間なんてものは、どんなに長生きしても絶対に足りないと感じるに違いない。
死ぬかもしれない瞬間に死にたくないと思えるのであればやはり時間は足りないのだ。
だと言うのにのんびり過ごすことを選ぶのだから人間という生き物は不思議だ。
そうした時間をどう使うかで出世に繋がるような世の中なのに、皆のんきだ。
頭では勤勉であるべきとわかってはいるが、実際にできるかと言われると難しい。
しかしこうして「書くことがない」ということに触れると、結果的に何らかの形にはなる。
確かにクオリティは大切なのだが、とりあえず行動してみるだけでも何かしらにはなるのではなかろうか。
美味しいご飯を食べます。