余計なもの
余計なものを入れないのはパスコの超熟ですが、
余計なことを言うのは人間の性なんですね。そのくせ「あれは良くない、これは良くない、気に食わない」なんて、いつまでも人参の嫌いな子供みたいな態度をとる。
もう、いい加減大人なんだから、人参との付き合い方くらい覚えたらどうなんだ。大人になった以上、無理やり食わせてくる存在はいないはずなのだから。
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「可哀想」
その言葉を聞くと、その感性自体に哀れみを抱いてしまう。他人を憐れむことでしか、他人を悲しませることでしか、幸せが得られないのであれば、その人間が他人を楽しませることはできないはずだ。
ほんの少しの言葉と行動で、簡単に人は幸せにできる。
でも、その行動に慢心や下心があれば、人はすぐにそれを見抜いて距離を置く。
猫を捕まえるためのエサとただ善意のみで与えるごはん。
自分が相手に何を与えているのか今一度考えるべきだ。
国民の意を知らぬ王様は、きらびやかなおさがりの衣装をにこやかに差し出す。
でも、国民が欲するのは着るものの豊かさではなく明日のごはんなのだ。
それがどうしても、わからない。暗愚なのだ。
しかし国民たちは沈黙する。
王様の考える最高の施しにケチをつければ、たちまち人参を嫌う子供に立ち戻ってしまうからだ。
だから彼らは、身を護る最大の術をもって錬金術を行う。
沈黙は金なり。
自分たちを豊かにしない金を、常に口の中で生み出している。まだそれを口に含んでいる方が多少は飢えをしのげるからだ。
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沈黙は金なりとかいいますが、お金を頂いたらお礼は言えなくちゃいけません。
雄弁は銀、沈黙は金。じゃあ、銅はなんだろう。
中途半端に答えることでしょうか。
どうなんでしょうか?
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美味しいご飯を食べます。