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短編『何も気にならなくなる薬』その229

「何も気にならなくなる薬」と題をうっているが、文章を書き起こすことはやはり精神的に良いものだといいたい。
会話というものは目の前の人間が何を好み、何を嫌い、また何を望んでいるのか常に考えている。
もしこれが何も考えず、また意見を求めずに話すのであればそれは誰でもいい愚痴に等しい。
少なからず会話は相手を意識して成り立つ。
今や少なくなってしまった手紙という形式は、文章を考えながら、また相手にどう伝わるのかをもっとも考える良い方法だったのだと思う。情報伝達が便利になった反面、私達は常に反射的な回答を求められている。
考えから選んだ言葉というよりも、
どちらかといえば熱湯に指を入れて引っ込めるような条件反射で言葉を交わしている気がする。
そんな会話が楽しいだろうか。

精神の安寧を得る手段として、考えを紙に起こして捨てるというのがある。
自分の中にある不安や不満を書き起こし、それを捨てるという目に見える形で感情を捨てることができるのだ。
これは捨てることが目的のようにも見えるが、実のところ自分が何を恐れ、また何を障害として考えているのかそれを知る方法なのではないか。
私は紙が勿体無いのでこうして文字を打ち込んでいるが、やはり自分が何を考えているのかを知るために重宝する。

病は気から、それが毒なのだとしたら、
またその反対の薬も当人次第で作れるのではなかろうか。


「種」

これは何の種だい?
植えればわかる。
植える土地がない。
それなら食べてみるといい。
そのうち畑で芽を出すさ。
それもそうかと食べてみるとへそから目が出て、次第に大きな木になった。
鳥が巣を作り、リスが餌を隠す。
毛虫が葉を食べ、昆虫が蜜を吸う。
落ち葉に苦情があり、
木こりがこれを切り落とし、切り株に動物たちが座り込む。
丸太が材木になり、大黒柱になる。
人が住んで妻を貰い、子を授かって、その子供が走り回る。
この種はなんだい?
植えればわかる。

美味しいご飯を食べます。