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登美ヶ丘中学校

ふと、卒業した中学の事を思い出しました。

友愛、創造、貫徹が学校の校訓で校歌にも歌われていて、今でも忘れずに覚えています。

私が入学して、ようやく3学年がそろったという、当時の新設校で、初めはプールも完成していませんでした。

近くに大きな公団団地や住宅地が、大阪のベッドタウンとして山を切り拓き開発され、数年で人口、特に子育て世代が増え、生徒数も一気に増大しました。

入学して直ぐに、新校舎が建て増しされ、長い渡り廊下が二つの校舎を繋いでいましたが、その両脇は何も整備されていない、砂地の中庭だったと記憶しています。突貫工事の建て増しだったのかもしれません。

今は、その頃より更に開発は進み、学校周辺の風景も変わってしまっていますが、当時はまだ、田んぼに寄り添う感じで校舎が建っていて、直ぐ前の川では、ザリガニを獲ったりできていました。

元々のその土地に昔から住んでいた家の生徒もいましたが、殆どが、大阪などから移り住んできた家の子供たちでした。

私は幼稚園の頃に引越してきたので、比較的長くその地で生活はしている方でしたが、中学の3年間に転入してくる生徒もたくさんいました。

転入生の中には、大阪で少し突っ張った学校からの子もいました。しかし、この中学の不思議なところは、そういうタイプの子が殆ど居なかったことでした。

絵に描いたような優等生という訳ではないですが、絵に描いたような不良もいない、むしろ不良ぶってる転校生が日が経つと「普通の子」になっていくのが面白く観察していたのを覚えています。

これは牙を抜かれて、枠にはめられるのとは正反対で、むしろ、みんな伸び伸び、無理なく自分らしくいる感じになっていくように見えました。

卒業生には、大臣になった人や日本、海外で社長として活躍された人もいらっしゃいます。私の幼馴染というか、近所の遊び仲間でありましたが、彼らも、頭が良くて勉強ができるというだけでなく、どこか自然体でいつも伸び伸びしていたように思います。勿論、今でも社会の中心で活躍されています。

そんな、我が母校も昨年、創立50周年を迎えたようです。

校舎もあの時のままで、部活の後で、蛇口から直接水を飲んでいた下駄箱の外の水飲み場もそのままのように、写真からは推測できます。

沢山の人を育んだ学校ですが、まだまだこの先50年、100年と「友愛、創造、貫徹」の精神で、「これからの人」を育んでいってもらいたいと思います。

ふと、そんな想いをめぐらせた日曜の朝。

また少し秋の気配。良い一日を!

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Chinpan S

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