見出し画像

2024.10.17 ストリートスナップ

アレック・ソスの個展『部屋についての部屋』を観に東京都写真美術館に行った。アレック・ソスは、写真をやっているなら知っていて当たり前の巨匠だけれど、僕は名前こそ知っていたものの、作品はネットで何点か見たくらいであまり知らない写真家だった。知ろうとしなかったのは、巨匠と言われても、モニターで見るだけではそれらの作品の何がすごいのかぜんぜんわからなかったというのが大きいと思う。作品を「すごさ」とか「良さ」のようにイメージに変換して捉えるのはダメだけれど、モニターでぱっと見しても「ふ~ん」という感じだった。

さて、展示の感想を言うと、「こりゃすげえや」となりました。ぜんぜん知らなくてごめんなさいという気分になったし、圧倒されてしばらく考え込んでしまった。僕の所感ではあるけれど、アレック・ソスの写真からは撮影技術の提示やテクニックの誇示みたいなものは全く感じられない。いや、実際には超絶技巧により撮られた写真だ。しかし、その技術は職人技である。写真に軽やかさがある。手に馴染んだ方法で技術やテクニックの壁を軽々と乗り越え、写真だけを見せられる境地にいる。僕は「これはどうやって撮ったんだろう」という技術的なところに視線が向かわない写真が好きだ。

そして、モニターの比ではない、額装された大きく美しいプリントを観ると、写真が全身に染み込んでくるのがわかる。やっぱ写真はプリントじゃなければ伝わらないな、とあらためて思った。写真そのものが持つ力はプリントによって発揮される。SNSで見るのはサムネイルであって全く本質ではない。

今回の展示のテーマである「部屋」について、誰かの部屋を写真で見るということは覗き見る行為である。写真を見る立場というのは常に特権的だから、誰かの部屋の写真を見た我々は、一方的に「汚い」「綺麗」「センスある」「ゴミ屋敷」など多様な印象を持つ。だから、特に個人との結びつきが強い写真を見ると、ちょっと悪いことをしている気分になりやすい。

しかしアレック・ソスが撮った部屋の写真は、言葉にするのは難しいけれど、体温を感じる受容と絶妙な距離感がある。被写体と部屋を温かく受け入れ、しかしわかりえない他者との距離感をしっかり理解し、近づきすぎたり離れすぎたりせず、被写体の尊厳と美しさを確と表現している。そこには批判も暴露も告発も無く、静かに受け入れ、こちらの目を真っ直ぐ見て頷いてくれるような肯定を感じる。アレック・ソスは、軽やかでありながら卓越した職人技で写真を見せられる素晴らしい写真家だと思う。価格は高いけれど、今回の展示の図録以外のアレック・ソスの写真集も買いたくなった。

『部屋についての部屋』は、なんと800円で観られるお得すぎる展示なので、都内在住の方はぜひ観に行ってください。学び以上のものが得られます。ぼくもあと3回は行こうと思ってます。


いいなと思ったら応援しよう!