2024.11.17 ストリートスナップ
自分の写真を伝えるためにステートメントを書く必要性があることは分かっている。そうでもしないと訳が分からなすぎて誰にも見てもらえない。表現している自分ですらよく分かっていないことを、作品だけ見せたところで無視されるだけである。場所を借りて展示するのとSNSにアップするのではアプローチの仕方は異なるけれど、どちらの場合でもステートメントが無ければやはりスルーされてしまうし、キュレーターやコレクターは容赦なく無視するだろう。無視は酷評以上に手厳しい仕打ちである。
とはいえ、「ステートメントを書かなければならない」ということに引っかかるところがないといえば嘘になる。つまり、そのステートメントというのはビジネス面での方便でしかないのではないか。「こうすれば早く金を稼げるようになるヨ!」というビジネス指南に思えなくもない。そりゃお金は大事だし効率的に稼げたほうが良いに決まっている。
しかし、そんな消費の形態に自分の表現を落とし込むことがすんなりできるのだろうか。他者の受苦や尊厳を、自分の作品を売るための素材にすることは簡単ではないと思う。それを苦に感じない人がビジネス的に成功するのだろう。僕はコレクターや富裕層に胡麻を擂ってアイデンティティポリティクスをやるつもりはない。つまり、まあ僕は写真じゃ成功しないということだ笑。