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2024.11.26 ストリートスナップ

悔しいことに、最近また渋谷で撮るのが楽しくなってきた。この二ヶ月くらいは都心の繁華街は避けるようにしていたけれど、久しぶりに渋谷で撮ったらなかなかイケる。あいかわらず街自体は終了しているとはいえたくさんの人であふれている渋谷は楽しい。それは、すべてが軽薄であるがゆえの楽しさと言える。

渋谷の中心はあらゆるタイプの人間が一同に会してぐちゃぐちゃになっている生の空間。その生の空間の空隙を縫うようにして歩いて撮る。一方で死の空間も存在する。それは人の気配が感じられない路地裏や見落としてしまうような場所に現れる。

これは渋谷以外にも言えることではあるけれど、東京の街の美しい点は生と死のダイナミズムが狭いエリアで犇めき合い同居しているところである。しかし、街それ自体が美しいわけではない。街だけではなく人もいなければその美しさは機能しない。ゆえに人もしっかり撮らなければならない。

東京はすでに街として終了している空白都市だ。東京の変化をポジティブに期待することもペシミスティックに嘆くことも全く意味が無い。かといって訳知り顔で冷笑的に振る舞うことも同様に無意味だ。

それならば、すべきことは街と人々の日常をひたすら見つめることである。そして見つめることと撮影することの暴力性も認識する。そうでないと、街に出て撮影することが表現の域に達することは決してないだろう。

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