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2024.11.07 ストリートスナップ

これからの写真は「退屈」の要素が必要だと思う。モノクロでもカラーでもかっこよく撮る(≒プロっぽく撮る)ことが常とされているけれど、もはや世の中はあまりにもポジティブすぎて消費の流れが早すぎるから、ビジュアル優先の写真表現はあっという間に食い尽くされて忘れ去られるだけである。

ポジティブな世界観では、ネガティブな要素を排除するために常に消費を促すようなっている。人々を飽きさせない工夫に終始して、このつまらぬ退屈な日常を忘れさせようと街もネットも躍起になっている。今の世の中はみんなが常時エナドリをブチ込んでブーストしているような状況なのだろう。「元気の前借り」なんて表現はもう古い。疲労が来る前にブーストするのがエモいってわけ。そうすれば日常を忘れられる。

しかし、なによりも忘れてはいけないのは「つまらなく退屈な日常」ではないのか。実はその退屈な日常の中でしか生きていないということの認識。だから日常はつまらなさすぎる。そして、他者の日常の壁は高く分厚そうに見えるけれど、日常には脆さがある。権力者にNOと言われたらボロボロに崩れるのが日常なのだ。

だからこそ、退屈な日常を共通項として他者との対話や眼差しや相互理解が可能になるのではないか。写真表現はポジティブな非日常性を突き進む方向に進んでいるように思える。しかしそれでは瞬く間に忘れ去られる。他者の日常を眼差し撮影することには暴力性がつきまとう。しかし、そうでもしないといけないところまで日常が希薄になっているのも事実。これからは髪を鷲掴みにして日常に引き戻すという退屈ゆえの暴力的な写真が必要になってくると僕は予感している。

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