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古今集巻第十六 哀傷歌 857番

式部卿のみこ、閑院の五のみこにすみわたりけるを、いくばくもあらで女みこの身まかりにける時に、かのみこのすみける帳のかたびらのひもに、ふみをゆひつけたりけるをとりて見れば、むかしのてにて、このうたをなむ書きつけたりける

よみ人しらず

かずかずに我をわすれぬものならば山の霞をあはれとは見よ

式部卿の皇子が、閑院の五番目の内親王の局に通い続けていたところ、いくらも経たないうちに内親王が亡くなった時に、この内親王が住んでいた局の寝台の垂れ衣の紐に、文をくくり付けたものを取って中を見ると、以前から見慣れた字で、この歌を書きつけてあった
詠み人知らず(閑院の五の内親王)
何度となく私を忘れずにいてくれるものならば、わたしを火葬にした煙だと思って薄れていく山の霞をいとしく思ってください

亡くなる前に恋の相手に言い残した言葉です。当時は若くても急に亡くなる人も多かったようです。
「すみわたる」は、そこに住み続ける意で、相手の女性の家に通い続けることです。
「むかしのて」は、昔の手、「手」は書いた文字、筆跡のこと。手習いの「手」です。
「かずかずに」は、繰り返して、の意味。

式部卿の皇子や、閑院の五番目の内親王が誰なのかは明らかではありません。式部卿の皇子は、式部省の長官なのでこの呼び名ですが、宇多天皇の皇子の敦慶親王(あつのりしんのう)または、清和天皇の皇子の貞保親王(さだやすしんのう)だと言われています。閑院の五番目の内親王は、光孝天皇の皇女の穆子内親王(ぼくし、むつこないしんのう)ともいわれますが、不明です。

#古今集 , #哀傷歌 , #閑院の五の内親王 , #式部卿の皇子 , #山の霞 , #手

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ちのみゆき
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