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古今集巻第二十 東歌 1088番
みちのくうた
よみ人しらず
みちのくはいづくにあれどしほがまの浦こぐ舟のつなでかなしも
陸奥歌
詠み人知らず
陸奥は何処にあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手悲しも
陸奥の歌
詠み人知らず
陸奥はどこであっても美しい場所があるけれど、塩釜の浦を漕いで行く舟が綱で引かれていくのは特に心ひかれる
素潜りの漁が終わって、舟が綱で引かれて帰っていく光景が素晴らしいと言う歌です。夕方が近づいて海人達が日々の仕事を終えて帰っていく、夕日が射す広い海の中でぽつんと舟と海人の影が見える風景の美しさ、そしてこれが日々永遠に繰り返されると言う日常と悠久の歴史の対比、これらがが深い感慨をもたらす、ということのようです。
新勅撰集の羈旅525番に源実朝の歌「世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも」は、この歌を取ったものでしょう。
「悲し」は、現代では「涙が出るようなつらい気持ち」を指しますが、「良い悪い関係なく深く感動する」ことを意味します。
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