奥山の根しのぎふる雪下
題しらず
よみ人しらず
吾妹子にあふさか山のしのすすきほにはいでずもこひわたるかな
吾妹子に逢坂山の忍薄、穂には出でずも恋渡るかな
我が妻に逢う、逢坂山のまだ穂の出ない薄のように、表には出さないが恋をし続けている
「奥山の根しのぎふる雪下」は「奥山の根しのぎふる雪」の歌の次に書かれていた、ということです。
逢坂山は、京都と滋賀(山背と近江)の境の峠で、和歌に詠まれるようになったのは、平安時代になってからですが、古くから大和から山背、そしてここを通って近江に出て、さらに東国へ抜けていく道として使われていたようです。
#古今集 , #逢坂山 , #忍薄