古今集巻第十八 雑歌下 947番
題しらず
そせい
いづこにか世をばいとはむ心こそ野にも山にもまどふべらなれ
素性法師
いずれの場所で世を捨てようか、そう思っても心は野にいても山にいても、惑うものであるようだ
世を捨てるのは心の迷いをなくす為ですが、どこで隠遁生活を送るのか、野であろうと山であろうと、そんなに簡単に迷いを消すことはできない、という意味と思います。野か山かと考えている段階で、すでに迷いがあることになります。
本人の心の迷いを呼んだものと言うよりは、世事がうまくいかないと世を捨てたいと愚痴をいう貴族たちを戒めたもののような気がします。
素性法師は、都のすぐ北の雲林院に住んで、貴族たちに和歌や漢詩を教えたり、宇多天皇の母である皇太后班子女王がお開きになる歌合に呼ばれたりしています。晩年は母親が住んでいたらしい大和に移っています。
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