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古今集巻第十七 雑歌上 900番

業平朝臣のははのみこ、長岡にすみ侍りける時に、なりひら宮づかへすとて、時々もえまかりとぶらはず侍りければ、しはすばかりに、ははのみこのもとより、とみの事とて、ふみをもてまうできたり。あけて見れば、ことばはなくて、ありける歌
老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしき君かな

業平朝臣の母の皇女、長岡に住み侍りける時に、業平、宮仕えすとて、時々も得罷り訪らはず(えまかりとぶらはず)侍りければ、師走ばかりに、母の皇女の元より、頓の事(とみのこと)とて、文を持て詣で来たり。開けて見れば、言葉は無くて、有りける歌
老いぬれば避らぬ別れの有りと言へばいよいよ見まく欲しき君かな

業平の母の伊登内親王が長岡に住んでいた時に、業平は宮仕えをすると言うことで、時々さえも母を訪ねることができなかったので、師走の頃に母の元から急ぎの用事として使いの者が手紙を持って来た。開けて見ると、文章は無くて、そこに書いてあった歌
老いてしまったので、避けられない別れがそろそろ有るのかと思うと、いよいよもって会いたいあなたなのです

業平の母の伊登内親王(伊都内親王、いとないしんのう)は、桓武天皇の皇女。ちなみに業平の父は阿保親王(桓武天皇の孫)です。
長岡は、京都の長岡京市。
この歌は、伊勢物語84段に出ています。

#古今集 , #雑歌上 , #伊登内親王 , #有原業平 , #長岡 , #さらぬ別れ

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ちのみゆき
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