古今集 巻三 夏歌 155番
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
大江千里
やどりせし花橘もかれなくになどほととぎすこゑ絶えぬらむ
寛平の御時の后の宮の歌合の歌
大江千里
宿っていた橘の花が枯れていないのに、どうしてほととぎすはどこかに行ってその声が聞こえなくなったのだろう
その家の女の美しさがおとろえた訳でもないのに、なぜ通っていた男はどこか他に行ってしまうのだろうという意味もあるように思います。そしておそらくは、どこかに行った男というのは自分のことで、なぜかよくわからないが冷めてしまって通う気持ちがなくなったんだ、と言っているように思います。これでは女性はつらいですね。
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