古今集巻第十八 雑歌下 976番
ともだちの久しうまうでこざりけるもとに、よみてつかはしける
みつね
水のおもにおふるさ月のうき草のうき事あれやねをたえてこぬ
友達の久しう詣で来ざりける元に、詠みて遣はしける
躬恒
水の面に生ふる皐月の浮草の憂き事あれや根を絶えて来ぬ
友達が長い間訪ねて来ない、その本人の元に、詠んで送った歌
凡河内躬恒
水の面に生えるこの五月の水草のような頼りない私だが、その私に対して何か嫌なことがあるのだろうか、根が切れたように来てくれない
浮草と憂き事が掛詞です。
水草の根が切れて流れていった、と言うことと、友人は私との関わりを切ってどこに行ったのか、とを掛けた歌で、水、生ふ、浮草、根が、水草の縁語です。
この時代は友人のことを「とも」と言います。「たち」をつけると本来は、複数人を指すはずですが、ここでは特定の一人のようです。ちょっと不思議な使い方です。
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