古今集巻第十九 雑躰短歌 1003番
ふるうたにくはへて、たてまつれるながうた
壬生忠岑
呉竹の 世々の古言 (よよのふるごと)
なかりせば いかほの沼の
いかにして 思ふ心を
のばへまし あはれ昔べ
ありきてふ 人まろこそは
うれしけれ 身はしもながら
言の葉を あまつ空まで
きこえあげ すゑのよまでの
あととなし 今もおほせの
くだれるは 塵につげとや
塵の身に つもれる事を
問はるらむ これを思へば
いにしへに くすりけがせる
けだものの 雲にほえけむ
ここちして ちぢのなさけも
おもほえず ひとつ心ぞ
ほこらしき かくはあれども
照る光 近き衛りの(ちかきまもりの)
身なりしを たれかは秋の
くるかたに あざむき出でて
御垣より 外の重もる身の
(みかきより とのへもるみの)
御垣守 をさをさしくも(みかきもり)
おもほえず 九重の(ここのかさねの)
なかにては あらしの風も
聞かざりき 今は野山し
ちかければ 春は霞に
たなびかれ 夏はうつせみ
なきくらし 秋は時雨に
袖をかし 冬は霜にぞ
せめらるる かかるわびしき
身ながらに つもれる年を
しるせれば いつつのむつに
なりにけり これにそはれる
わたくしの 老いのかずさへ
やよければ 身はいやしくて
年たかき ことのくるしさ
かくしつつ 長柄の橋の(ながらのはしの)
ながらへて 難波の浦に
たつ波の 波のしわにや
おぼほれむ さすがに命
をしければ 越の国なる
白山の かしらはしろく
なりぬとも 音羽のたきの
おとにきく 老いず死なずの
薬もが 君が八千代を
若えつつ見む
古歌に加えて奉った長歌
壬生忠岑
呉竹の節の間よように長い世々の古い歌が
なかったならば、伊香保の沼の(掛詞)
如何にして思う心を
述べようか、ああ昔に
いたと言う柿本人麻呂こそは
素晴らしい、身分は低いけれど
言の葉を天の空高く
歌い上げ、末代まで
跡を残し今も帝の仰せが
下るのはこの人麿を継げと
この身分の低い私どもに長い年月積もった和歌を
ご下問になった、これを思えば
故事に言う大人が飲むべき仙人の薬をなめた
犬や鶏が天上て雲に吠えたように
身の程でもない心地がして多くのお情けも
感じ入ることが出来ないで、ただなんとかお応えしたい気持ちで
誇らしく思う、そうではあるが
照る光をお側でお守りする左近衛の
身であるのを誰かに秋の
来る頃にわたしを欺いて
衛門から外の周囲を守る身分の
衛士となってしっかりと働くとは
思ってもいなかった、以前の内裏の門の
中では嵐の風も
聞かなかったが、今は門の外で野山が
近いので、春は霞が
たなびいて、夏は蝉が
鳴き暮らし、秋は時雨に
袖を貸して、冬は霜に
苦しめられる、このようなわびしい
身ではあるが積もれる年を
書くならば、五つの六年に(5*6=30年)
なってしまった、これに加えて
わたくしの老いの齢は
更に多いので身分は低くて
年齢は高いことの苦しさを
このようにしながら、長柄の橋の(序詞)
生きながらえて、難波の浦に
立つ波のような皺に
覆われてしまうだろう、さすがに命は
惜しいので越の国の
白山のように頭は白く
なってしまったが音羽の滝の
音に聞く有名な老いない死なない
薬がほしい、帝の八千代の世を
若くなって見たいものだ
和歌というものがあったので自分のような身分の低いものにも古歌蒐集のご下問があって誇りに思うこと、季節を選ばずにその仕事に励んだこと、長年取り組んで来て老いてしまったことを述べた後で、帝の八千代を祝う詞で締めくくっています。