古今集巻第十八 雑歌下 973番
題しらず
よみ人しらず
我を君なにはの浦にありしかばうきめをみつのあまとなりにき
この歌は、ある人、むかし男ありける女の、男とはずなりにければ、難波なる三津の寺にまかりて、あまになりて、よみて男につかはせりけるとなむいへる
題知らず
詠み人知らず
我を君難波の浦に在りしかば憂き目を見つの尼となりにき
この歌は、ある人、昔男ありける女(をうな)の、男訪はずなりにければ、難波なる三津の寺に罷りて、尼になりて、詠みて男に遣はせりけるとなむ言へる
私のことを君は何とも思わず恨めしくなったので、悲しい気持ちになって尼になりました
この歌は、ある人は、昔、男がいた女で、男が通ってこなくなったので、難波にある三津の寺に行って、尼になって詠んで男に送ったものだ、と言った歌
「難波の浦」は、「何(は)とも思われずに恨めしい」の掛詞。
「憂き目を三津の尼になり」は、「憂き目を見たので三津の寺の尼になって」の掛詞。
「目」は、海藻の「海松布(みるめ)」の「め」、「尼」は「海女」に通じ、難波、浦、海松布、海女、三津は、海の縁語です。
このような言い換えを使う掛詞は、江戸時代ぐらいに良く使われますが、始まりは古今集(万葉集にもあるかもしれません)の時代です。日本の多くの文芸は古今集を下地に成り立っています。
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