古今集巻第十八 雑歌下 969番
紀のとしさだが阿波介にまかりける時に、うまのはなむけせむとて、けふといひおくれりける時に、ここかしこにまかりありきて、夜ふくるまで見えざりければ、つかはしける
なりひらの朝臣
今ぞ知るくるしきものと人またむさとをばかれずとふべかりけり
紀利貞が阿波介に罷りける時に、馬の鼻向けせむとて、今日と言ひ送れりける時に、ここかしこに罷り歩きて、夜更くるまで見えざりければ、遣はしける
業平朝臣
今ぞ知る、苦しきものと、人待たむ里をば離れず(かれず)訪ふべかりけり
紀利貞が阿波介になった時に、見送りの宴をしようと思って、今日だと言い送ってあった時、利貞があちらこちらと挨拶に回って歩き、夜遅くまで会えなかったので、送った歌
在原業平
今は良く分かる、人を待つのは苦しいものだと、妻が待っている里の家を間を置かずに訪ねようと思う
「阿波介」は、阿波国の国守の次官。
「馬の鼻向け」は、送別会のこと。最後に送り出す時に相手の馬の向きを整えてやることから、送別の宴会も含めて、こう呼ぶようになりました。
「かる(離る)」は、離れることですが、男女の仲で、あまり会わない状況を指します。
業平は、今日は送別の宴会をしようと約束をしたが、利貞があちこち挨拶回りをして宴会に来ず、ずっと待っていた。待つと言うのは、こんなにつらいのか、いつも私を待っている女は、こんなにつらい気持ちでいるのだな、冷たくあしらわずに頻繁に通うことにしようと思う、と言う歌です。
送別会は、もう忘れていて、自分の女のことを歌にしているのは、業平らしいですが、送別会にこだわらないのは、忙しい利貞への思いやりでもあると思います。
ただ、紀利貞が阿波介になったのは元慶5年(881年)で、業平は前年の元慶4年5月28日(880年7月9日)に亡くなったとされているので、つじつまが合いません。そう言われるとこの歌は、常に女性に寄り添い、通い続ける業平の印象とは違う気もします。