古今集巻第十五 恋歌五 747番
五条のきさいの宮の西の対にすみける人に、ほいにはあらで、物いひわたりけるを、む月のとをかあまりになむ、ほかへかくれにける。ありところがはききけれど、えものいはで、又の年の春、梅の花ざかりに、月のおもしろかりける夜、去年をこひて、かの西の対にいきて、月のかたぶくまで、あばらなる板敷にふせりてよめる
在原業平朝臣
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
五条の后の宮の院の西の対に住んでいる女性に、少し無理な恋をして、語らいあっていたのを、睦月1月の十日余りに、他へ密かに移って行った。居所は人に聞いたけれど、再び語らいあうことはできず、翌年の春の梅の花の盛りで月が美しい夜、去年を懐かしく思い、あの西の対に行って、月が傾くまで、人が住まなくなって荒れた板敷に伏せって詠んだ歌
月は前とちがうのだろう、春は昔の春ではないだろう、わが身ひとつだけは去年のままなにも変わっていないのに
「五条のきさいの宮」は仁明天皇皇后の藤原順子です。その西の対に住んでいる人は藤原高子と言われていて、清和天皇の女御として出仕する準備でここに住んでいました。他へ移ったというのは出仕してしまったからで、業平は逢えなくなりました。天皇の女御になる女性とお付き合いをしたので、本来なら罰を受けるはずですが、お咎めなしの代わりに業平は東国へ旅に出ます。
「ほいにはあらで」は「本意にはあらで」ですが、「道理には合わないのだが」という意味。天皇の女御になる人と関係したことを指しています。
「去年(こぞ)」「西の対(にしのつい)」。
「藤原順子」はなんと読むのかわかっていません。じゅんし、のぶこ、じゅんこ。
「藤原高子」もなんと読むのかわかっていません。こうし、たかいこ、たかこ。
この話は伊勢物語4段にほぼ同じ内容で載っています(伊勢物語の方が先です)。