古今集巻第十六 哀傷歌 862番
甲斐国にあひしりて侍りける人とぶらはむとてまかりけるを、みちなかにてにはかにやまひをして、いまいまとなりにければ、よみて、京にもてまかりて母に見せよといひて、人につけ侍りける歌
在原しげはる
かりそめのゆきかひぢとぞ思ひこし今はかぎりの門出なりけり
甲斐国に相知りて侍りける人訪らはむとて罷りけるを、道中にて俄かに病ひをして、今今となりにければ、詠みて、京に持て罷りて母に見せよと言ひて、人に付け侍りける歌
在原滋春
仮初めの行き甲斐路とぞ思ひ越し今は限りの門出なりけり
甲斐国に互いに知っている人を訪ねようと思って行ったところ、道中で急に病気になってしまい、今はもうという状態になったので、詠んで、都に持って行って母に見せて下さいと言って、人にことづけた歌
在原滋春
ちょっとした行き交いの道の甲斐国への旅と思って来たのに、今はもうこれ限りの門出になってしまいました
「とぶらふ」は、「訪らふ」で訪問する、行って見舞う、と言う意味。「弔ふ」なら弔問するですが、ここでは前者です。
「まかる」は、「行く」ことです。「行く」の謙譲語なので、内裏から引き下がる、都から地方へ行くのような含意もあります。
「いまいまとなる」は、今か今かと待つ時の気持ちのことですが、良くない事にも使います。
「人につけ侍りける」の「つく」は、ことづける、託すことです。
「ゆきかひぢ」は、「行き交ひ路」と「行く甲斐路」の掛詞です。亡くなる前に思いついたと言うより、甲斐国に行くから、行き交うだなと前から考えていたのだと思います。
遠くに住む友人を気にかけて、会いに行こうとしたところ、自分が病気になってしまい、友には会えない、そして置いてきた母にももう会えない。せめて母親に別れの言葉を、と人に歌を託した歌です。
滋春は、業平の次男です。このお母さんが誰なのかはわかりません。業平なので、妻(紀有常の娘)の他にも関わりのある女性は多くいたことでしょう。
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