古今集巻第十七 雑歌上 873番
五節のあしたに、簪の玉のおちたりけるを見て、たがならむととぶらひてよめる
河原左大臣
ぬしやたれとへどしら玉いはなくにさらばなべてやあはれとおもはむ
五節の朝に、簪の玉の落ちたりけるを見て、誰がならむと訪ぶらひて詠める
河原左大臣
主や誰問へど白玉言はなくに然らば並べてやあはれと思はむ
五節の舞の翌朝に、簪(かんざし)の玉が落ちていたのを見つけて、誰のものであろうと舞姫達の局を訪ねて詠んだ歌
河原左大臣(かはらのひだりのおほいまうちぎみ)
誰のものであろうかと問うても「白玉は知らない」と、持ち主を言わないので、そうならばここの皆を愛おしく思うことにしよう
河原左大臣は、源融(みなもとのとほる)、嵯峨天皇の皇子ですが、臣籍降下して源姓を賜りました。六条河原院という大邸宅に住んでいたので、河原院と呼ばれています。
五節の舞は、夜に行われるので、舞姫は内裏の常寧殿に泊まるそうで、玉が落ちていたことにかこつけて、訪ねています。
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