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【通史】平安時代〈10〉天皇親政(3)「天暦の治」

朱雀天皇藤原忠平を摂政・関白にしましたが、その後を継いだ村上天皇は天皇自ら政治を行なう「天皇親政」を実施します。村上天皇の治世は「天暦の治」と呼ばれ、醍醐天皇の「延喜の治」とともに「延喜・天暦の治」と並び称されますが、政策的に特筆すべきことは少なく、強いて挙げるなら次の二つです。

◯一つは元大宝」という貨幣を鋳造したことです(958年)。これは本朝十二銭(古代の日本で発行された12種類の貨幣の総称)の最後になります。しかし、この貨幣は質が低かったため、流通することもなく、963年には鋳造も中止されてしまいます。ちなみに、本朝十二銭の最初は、708年に元明天皇が鋳造した「和同開珎」でした。

◯もう一つは『後撰和歌集』という勅撰和歌集を編纂させたことです(958年)。

村上天皇の治世についてはあまり重要ではなく、これでおしまいです。

〈今回の内容のまとめ〉

村上天皇(第62代:946~967年)「天暦の治」
①乾元大宝鋳造(958年) →「本朝十二銭」の最後
↳貨幣の質が低く流通せず、963年に鋳造中止
『後撰和歌集』編纂(958年)

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