日高屋の天津飯は誰も救わない。
延滞料金(chinochimu)です。気が向いたので。
おれは日高屋が好きでよく通っていた。理由はよく行っていたパチンコ屋の上の階にあったから。
パチンコ自体はもう辞めているので、パチンコで糊口をしのいでいた時期よりかは行っていないが、月に一回無性に日高屋が食べたくなる日がある。
今日がその日だ。だが、今日は土曜日。土日祝日は街に人間が溢れ返っていて怖過ぎるのでよっぽどの事が無いとおれは街に行かないようにしている。残念ながら日高屋は「よっぽどの事」には含まれていない。
(´・ω・`) ショボーン
朝起きて、パチンコ屋に行ってパチンコを打ち、終わったら日高屋に行く。日高屋でいつも注文するのは汁なしラーメン。その日の勝ち負けによって追加でバクダン炒め、レバニラ炒めを注文したりしなかったり。そして日高屋を出て家に帰り就寝。完璧なルーティンを組んでいた。
日高屋は良い。雨が降ろうが風が吹こうがパチンコに勝とうが負けようが365日確かに変わらない味がする。これは日高屋に限った話では無いので、もしパチンコ屋の上にサイゼリヤがあったら、毎日若鶏のディアボラ風を注文していたであろう。
若鶏のディアボラ風の素晴らしさはまた気が向いたら書くとして、おれはこの「いつ食べても味が変わらない事」を重要視している。
飯の味はその時の環境や感情、体調に左右されがちで、基本的な味の感想は変わらなくとも、「美味しい」が「めっちゃ美味しい」や「普通」に変わったりする。砂漠で食うカロリーメイトは誰が食っても不味いと思うはずだ。だが日高屋は違う。もし仮に日高屋 ゴビ砂漠店があったとしても、パチンコ屋の上の階にある日高屋と変わらない味の感想を抱くだろう。
日高屋はパチンコの勝ちも、負けも、砂漠での喉の渇きも、全てを変わらぬ味で包み込んでくれる。その日の感情や体調に左右されない。そんな店だ。
パチンコでとんでもない金額負けた日があった。15万円失った。打ったのはスマスロのHEY!エリートサラリーマン鏡。
この日は朝から並んで抽選番号は確か16番とかその辺りだった気がする。200人程並んでいたので中々の良番。おれは入店したらすぐに狙っていた台に座り、朝からブン回した。
そこからの記憶が全く無い。気が付いたら日高屋の席に座っていた。あるのは15万円失った財布と、大金を失い虚ろな目をした不定職者。
おれはいつも通り汁なしラーメンを注文しようとしていた。負けた日は基本的に汁なしラーメンしか食べない。だが、この日は違った。ヤケクソになったおれは、事もあろうか天津飯を追加で注文してしまったのである。勝った日に炒飯を追加する事もあったが、炭水化物に炭水化物を追加する愚行を恐れてあまりしなかった。関係無い話だが、同様の理由でおれは焼きそばパンのアンチである。味は好き♪
そもそも天津飯を食べた事が無かった。なんとなくあんかけチャーハンとか、ご飯の上にかに玉を乗っけたような食べ物だと思っていた。浅はかだった。
汁なしラーメンと天津飯が席に届けられ、まずは汁なしラーメンを啜る。いつも通りの味。昨日も明日も明後日も食べる味。これを食べる事で失った15万円が戻ってくる訳では無いが、安心感は確かに感じた。この安心感が今日負けたおれを救い、明日の勝利を祝福してくれる。味の説明は書くのが面倒なので割愛。食えば分かる。
汁なしラーメンを食べ終わり、いざ天津飯を口に運ぶ…
(・ ~ ・`)モグモグ
Σ( ˙꒳˙ )
まっっっっっっっっず!!!!!
不味過ぎる。食べる前に味の想像をしたのが間違いだった。どうやらおれが想像していた天津飯の味は関西風らしく、関東では天津飯のあんがケチャップ味だった。更に、中身は炒飯のように様々な具材が彩られている訳ではなく、ただの白米。
白米の上に卵焼きが乗っていて、その上に水溶き片栗粉にケチャップを混ぜた謎の液体がかかってるゴミ。濡(ぬ)らしたオムライスを食べているような感覚。日高屋 ゴビ砂漠店で何も知らないモンゴル人が食べても「このオムライス濡らし過ぎじゃない?」て言うレベルで美味しくない。
Googleのサジェストの一番上に「まずい」が出てくる最悪の料理。(ちなみに汁なしラーメンでも「まずい」が出てきたので、世界で日高屋の汁なしラーメンが好きなのはおれだけの可能性が微レ存)
基本的にどんな料理でも「うめぇうめぇ」と食い、出された物は全て食べてきたおれだが、記憶がある限り、人生で初めて飯を残した。軽くなった財布と飯を残した事に対する罪悪感を抱えながら店を出た。
日高屋の天津飯は誰も救わない。
おわり。