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岩波少年文庫を全部読む。(125)「日本近代文学」への入口として妥当なのか? 芥川龍之介『羅生門 杜子春』

芥川龍之介『羅生門 杜子春』(岩波少年文庫)には、1915年から1922年までに書かれた短篇小説・童話10篇と、短篇小説「少年」(1924)の第5章「幻燈」収録し、加えてアフォリズム集「侏儒の言葉」(1923)を抄録しています。

仙人修行をめぐる三つの短篇小説

「杜子春」(1920)は同名の唐代伝奇のリライトです。でも話の肝腎のところを大きく変えてしまっています。これについては、解説で立間祥介先生がわかりやすく説明してくれています。

芥川ヴァージョンの「杜子春」では、没落した杜子春青年が不思議な老人から2度、地下に埋まった黄金のありかを示され、それを掘り出して裕福になるたびに浪費し無一文になります。
その後その老人(仙人)に弟子入りし、緘黙の行を続けるのですが、地獄に落ちて、自分の母に責苦が加えられているのを見てしまいます。ついにそのとき──。

一種の夢オチというか幻覚小説になっているところが売りです。これは「杜子春」と同年に発表された「魔術」(1920)もそうですね。
〈私〉はある雨の夜、大森にあるマティラム・ミスラ君の家で、魔術を見せてもらい、教えを乞います。ミスラ君は我欲を捨てることが魔術の必須条件だと言います。
魔術を教わって少し経ったころ、〈私〉は銀座のクラブで、友人たちに魔術で、燃える石炭を金貨に変えてしまいます。友人たちは〈私〉を丸めこんで、それを賭金としてカード賭博をすることにしてしまいます。さてさてどうなりますか。
「杜子春」と「魔術」、同じ年に発表された2篇はまったく同じ構造になっています。

この時代、佐藤春夫なんかも幻覚小説を書いてて、大正文学のひとつの潮流だなといった感じがします。

いっぽう、「仙人」(1922)は「杜子春」の完全逆ヴァージョンです。
大阪に奉公に来た権助は、口入れ屋(人材派遣業みたいなもの)に「仙人になりたい」と希望を出します。
落語の与太郎みたいな、ちょっと抜けた子なんですね。というか、落語には権助という「田舎出の使用人」という役回りがあって、芥川はこれを意識して命名したんじゃないかなー。

権助は案の定騙されて、悪い医者の家でノーサラリーで20年間奉公することになりました。もちろん、この医者も女房も、仙術なんか知りません。
しかももっと悪いことに、年季明けの日に、女房が権助に命じます。

「では仙術を教えてやるから、その代わりどんなむずかしいことでも、わたしのいうとおりにするのだよ〔…〕」
「はい。どんなむずかしいことでも、きっとしとげてごらんにいれます。」
 〔…〕
「それではあの庭の松にお登り。」
 〔…〕権助はその言葉を聞くとすぐに庭の松へ登りました。
「もっと高く。もっとずっと高くお登り。」
 〔…〕権助の着た紋付きの羽織は、もうその大きな庭の松でも、一番高い梢にひらめいています。
「今度は右の手をお放し。」
 権助は左手にしっかりと、松の太枝をおさえながら、そろそろ右の手を放しました。
「それから左の手も放しておしまい。」

芥川龍之介「仙人」(1922)
『羅生門 杜子春』所収、
岩波少年文庫、95-96頁。

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