シン・オイディプス「自分の運命は毎度毎度の自分が考えるベストチョイスの結果なので、それがうまくいかなくても自責に値しない」 ソポクレス『コロノスのオイディプス』
「あのとき、違うチョイスをしていたらよかったのに」
そう思うことはだれしもあるんじゃないだろうか。
ソポクレスの『オイディプス王』(427BCE? 高津春繁訳、『ギリシア悲劇』第2巻『ソポクレス』ちくま文庫)の主人公は、劇の最後で、こういう後悔と自責と恥の塊となってしまう。
ところが、同じソポクレスがオイディプスのその後を劇にした『コロノスのオイディプス』(高津訳、前掲『ソポクレス』所収)では、オイディプスはこれとはまったく違う姿勢を見せている。
簡単にまとめると、こちらでのオイディプスは、
自分の運命は毎度毎度の自分が考えるベストチョイスの結果なので、それがうまくいかなくても自責に値しない
という主張をしているのだ。
カッコいい! この違いは驚くべきだ。『エヴァンゲリオン』の旧劇場版と新劇場版くらい違う。とか言ってみたいが、肝心の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)を観ていない。
テバイを去ったオイディプスはどうなったか
この劇は『オイディプス王』の物語に続く部分をあつかっている。けれど、通常の意味での「続篇」ではない。この事情についてはいずれ書く予定。
『コロノスのオイディプス』は、ソポクレスが死の直前に書き、歿後5年経って紀元前401年に孫によって初演された、と言われている。
自分が知らずして父を殺し、母と交わって子をなしたと知って、オイディプス王は自ら盲目となった。そして王座を降り、娘アンティゴネに手を引かれて諸国を巡礼していた。
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