岩波少年文庫を全部読む。(98)「鳥右ェ門諸国をめぐる」がすごい。天才ってこういう人のことか。 新美南吉『ごんぎつね』
新美南吉が1930年代から1940年代初頭にかけて発表した童話は、のちにさまざまな版で書籍化されました。
岩波少年文庫にも『ごんぎつね』があります。
「ごんぎつね」の読めない小学生たち?
この文の公開の10日ばかり前(2022年7月30日)に、文春オンラインでの石井光太さんのインタヴューに表題作「ごんぎつね」(1932)が取り上げられていました。
これが教育格差の問題として論じられていましたが、たんに世代的な常識ギャップの問題のように僕には思えました。
でも、その常識ギャップを埋めることができる子とできない子がいるということ自体が教育格差なのだ、ということかもしれません。
文春オンラインの記事は石井さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)のプロモーション記事でもあるわけですし、僕も読んでみようと思いました。
17歳で初稿を書いた「ごんぎつね」
「ごんぎつね」を執筆したとき、作者は17歳。題は「権狐」という表記でした。
童話としては、18歳のとき、《赤い鳥》1932年1月号に発表されます。ただし僕たちの多くが読んでいるこの有名なヴァージョンは、掲載誌の主筆だった小説家・童話作家で、夏目漱石の弟子のひとりとしても知られる鈴木三重吉によって細かくレタッチされたヴァージョンなのだと、これもこの春はじめて知りました。
鈴木三重吉は題を「ごん狐」としました。これが正式な題で、新美南吉の全集にもその題で収録されています。「ごんぎつね」という総ひらがなの題は、1956年に国語教科書に採用されて以降のいわば通称だったわけです。
なお、草稿「権狐」は『校定新美南吉全集』(大日本図書)第10巻に収録されています。
草稿版「権狐」、《赤い鳥》版「ごん狐」、最初の単行本(歿後半年で刊行された『花のき村と盗人たち』収録ヴァージョン)は、すべて以下のリンク先で読めます。
新美南吉、天才でした
子どものころあまり読書しなかった僕は、小学校の国語教科書に掲載されていた表題作「ごんぎつね」を読んだのと、大人になって名前だけ知っていた「手袋を買いに」(1933。歿後1943発表。本書収録の表記では「てぶくろを買いに」)をあるアンソロジーで読んだだけで、他の新美作品に触れたことがありませんでした。
このマガジンのために今年の4月上旬、本書を読んで驚きました。
「ごんぎつね」だけじゃなかった。
天才でした、新美南吉。
それで、昭和末期から現在にかけて刊行された新美南吉の童話集を13冊ほど、10日ほどかけて一気に読みました。収録作がいずれも大きくダブっているので、サクサク読めました。
「てぶくろを買いに」がかわいすぎて困る
しかし「てぶくろを買いに」はどうにもかわいらしい作品で、こりゃ参った。
母狐が仔狐に手袋を買ってやろうと思いつきます。雪の夜、母狐は仔狐の片手を人間の子供の手に変えました。子狐は町の帽子屋で戸を少しだけ開け、変えた手を出して手袋を所望する、というミッションをこなさなければなりません。
町に着いた仔狐は、帽子屋が戸を開けたときに見た照明に目が眩んでしまい、うっかり狐そのままのほうの手を出して、
〈このおててにちょうどいいてぶくろください〉(173頁)
と言ってしまいました。
帽子屋は、狐だと正しく認識しますが、お金が本物なのでなにも言わず手袋を渡します。
仔狐は、うっかりで正体がバレても手袋を売ってくれたので〈にんげんってちっとのこわかないや〉(175頁)、〈ちゃんとこんないいあたたかいてぶくろくれともの〉と言って、
〈てぶくろのはまった両手をパンパンやってみせました〉(176頁)
おいこれかわいすぎるだろ……。
とまあかわいらしいことづくめの展開のあとの〆が、一転どうにも大人っぽい複雑な味わいで終わるのがまた素晴らしい。
「てぶくろを買いに」+「ごんぎつね」=?
「てぶくろを買いに」を読んでいて、この仔狐どこかで見たことが……と思っていたのですが、
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?