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旧型ディズニープリンセスが好きな人に、もう一度胸を張って、好きなものを好きだと言えるようになってもらおう。
この記事の続き。
来月、おとぎ話にかんする本が出ます。僕が書いた本のなかで、いちばんページ数が多い本になります。
最初からおとぎ話それ自体に興味があったわけじゃなくて、僕もわりと、「おとぎ話なんて小学校低学年まででしょう」くらいに構えてたクチでした。
でも書いてるうちに、おとぎ話ってものが文学史で果たしている役割が、僕が思ってたより大きいってことがわかってきた。
文学史のなかでおとぎ話が、豊かな地下水脈のように存在し続けていることを、取材・執筆をつうじて僕は知りました。
その水脈の存在は、現代人の文学観からは忘れられています。
執筆過程で遭遇したさまざまな情報の多くが、僕にとっては未聞の新事実だった。今回の本に書けたのは、そのごく一部にすぎません。
こういった知見をもとに、おとぎ話そのものを読み直さないと、おとぎ話に失礼だという思いが、いまの僕にはあります。
とくに、おとぎ話のヒロイン(しばしばプリンセス)は、ハリウッド好みの「強い女」ではないってことだけで非難されたりしてきました。旧型ディズニープリンセスが好きだってことを口外できずに、肩身の狭い思いをしている人がいそうです。
けれど、だからっておとぎ話のヒロインたちは、待ってるだけの受け身な「弱い女」なんかじゃありません。
あれだけ待てたり辛抱できたりする彼女たちは、打たれ強い女なのです。
打たれ強さは、現実世界ではむしろ男に要求されるジェンダーロールです。ハリウッド好みの「強い女」が発揮する攻撃的な「強さ」よりも、むしろディズニーの旧シンデレラのような我慢強い「打たれ強さ」のほうが、社会で要請される「男らしさ」によほど近い。
あまり注目が集まっていないけれど、シンデレラはペロー版もディズニー版も、僕から見ると男の美徳を体現しています。
おとぎ話を読み直そう。
旧型ディズニープリンセスが好きな人に、もう一度胸を張って、好きなものを好きだと言えるようになってもらおう。
時代は悪いほうにもいいほうにも変わる。彼女たちを好きだと言える世界を取り戻したほうが、世界は健康だ。執筆中、何度もそう思いました。
(続く)
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